「ガンジーの会」発足にいたる経緯

                    
末延芳晴


 「ハンスト・リレー日記」でも短く紹介しましたが、2月26日に開かれた第二回発起人総会で、私たちの集まりと運動に分かりやすい名前を付けようと思い、「ガンジーの会」という名前を提案し、了承されました。もとより、ガンジーの足元にも及ばない私たちですが、少しでもガンジーの「非暴力」不服従」の精神に近づき、ハンストを持続させ、運動を広げて行こうという気持ちを込めて命名した次第です。
 
 さて、いかにしてこの名前を思いついたか? 最初にその経緯について書いておきたく思います。「ガンジーの会」という名を思いついた理由は二つあります。一つは私自身の個人的な体験によるもので、もう一つは、一般参加者の皆さんからのホーム・ページへの書き込みを読んでいて、ひらめいた示唆というか啓示によるものです。少し長くなりますが、最初に個人的な理由から書かせてもらいます。
 
 実は、昨年の暮、クリスマスの前、僕の長年の友人で、ニューヨークからこのハンストに毎週火曜日に参加してくれている池宮正信さんが、島根県の松江でリサイタル開き、そのプログラムに昨年僕が出版したガーシューインの「ラプソディ・イン・ブルー」を入れてくれていたため、演奏の前に、その本について少し話をするということで、僕も松江まで行ってきました。そのとき、京都から松江まで直行バスに乗って行ったのですが、2階の席の一番前の席に座り、空間遊泳をしているような気分で、青い空を見上げていたとき、ふっとハンストのアイディアが頭に浮かんできました.。そのときから意識のどこかにガンジーのことが浮かんでいたように思います。
  
 といいますのは、「発起人からのメッセージ」のページに紹介した、沖縄に住むアメリカ人、ダグラス・ラモスさんの著書、「日本人は、本当に平和憲法を捨ててしまうのですか」について書いた書評でも触れたように、それより1か月ほど前、池宮さんたちと浜松を訪れ、コンサートの翌日、市内のお寺(名前がどうしても思い出せない)に銀杏の紅葉を見に行き、そこで96歳というおばあさんに出会った事が、強く印象に残っていたのです。おばあさんは、もう80年近い昔、寺に嫁入りしてきたときの話から、大地震や空襲で寺が壊れ九死に一生を得たときの話など、実にしっかりした記憶と言葉遣いで話してくれ、最後に「孫やその先に生まれてくる子供たちのためにも、2度と戦争を繰り返してはいけない。平和憲法にはそうした日本人の願いが込められているはずだが、アメリカに追随してイラクに自衛隊を派遣しようとする今の小泉内閣の動きを見ていると、心配でならない。もし平和憲法が改正されるようなことになると、死でも死に切れない」と言う趣旨の話しをし、別れ際に今年集めたという銀杏の実を一袋わけてくれたのです。そのことが強く印象に残っていたまま、そのすぐ後にラミスさんの本を読んだこと、さらに池宮さんのコンサートで、何度かステージの上から、「ガーシュインの傑作「ラプソディ・イン・ブルー」は、ガーシューインが、クラシックやミュージカル、ラグタイム、ジャズ、ユダヤ音楽など多様な音楽にクロスオーヴァーしていくことで生まれた音楽で、いい意味でのアメリカン・スピリッツ(クロスオーヴァー精神)を最も良く体現している。にもかかわらず、ブッシュに象徴される今のアメリカは、文化や宗教の多様性を認めようとせず、非常に偏狭なアメリカに都合のいい価値や主義を武力で押し付けようとしている。そしてその結果として、イラクに大義のない戦争をしかけてしまった。アメリカが、アメリカをアメリカたらしめてきた「クロスオーヴァー」精神を忘れようといる今、池宮さんが、ガーシューインのクロスオーヴァー精神にのとって、「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏することは、アメリカの本質をもう一度しっかり見定める意味でも、きわめて意義のあることである」という趣旨の話をし、最後に、完全菜食主義者の池宮さんこそ、日本のガンジーだということを話したことで、僕の意識のどこかに、ガンジーの「非暴力」と「断食」の思想が蘇っていたのでしょう。それが要因となって、ハンスト・リレーのアイディアが浮かんできたものと思います。
 
 だが、そういっても、断食体験ゼロで、どこまで自分がやれるかわからない状態で、ガンジーの名を持ち出すのはさすがに憚られ、とにかく、最初は自分がどこまでやれるか見定めることだと思って、ストをスタートさせたわけです。ところが、実際にやってみると、意外にスムーズに乗り切れ、最初は月に一回のペースと考えていたのが、2週間に一回、週に一回と増え、これならかなりの長期間にわたって持続できそうだ、少しはガンジーにあやかれそうだという自信のようなものが沸いてきました。それが今回、「ガンジーの会」という名を提案した要因の一つとなりました。
 
 次に、一般参加者の皆さんからの書き込みから得た示唆と啓示についてですが、確か、1月の末に青土社の津田さんが、「ガンジーの非暴力の精神に賛同して」という趣旨の書き込みで、参加の意思を表明しくれたのが最初だと記憶しています。ただ、その後、しばらく「ガンジー」についての書き込みは途絶えていたのですが、ハンスト発足1ヶ月目を迎えるあたりから急速に増え、羽鹿秀二さんや柴田響子さん、藤森治子さんたちの書き込みを読んで、「ああ、 やっぱり一般参加者の方々の胸のなかにもガンジーは生きているのだなー」という思いを強くし、それならと提案を決意したわけです。そうした意味で、「ガンジーの会」というのは、僕たち発起人と一般参加者の共同アイディアで生まれたものと言っていいと思います。
 
 ところで、最初にお断りしたように、僕たちはガンジーの足元にも及ばない小さな存在です。こうした名前を付けること自体おこがましいという批判の声も聞こえて来そうです。しかし、このハンスト・リレー運動を一過性のものとして終わらせることなく、新しい市民による、市民のための「非暴力」「不服従」、あるいは「不承認」の運動として定着、発展させていくためには、僕たち自身が、ハンストの行為を「思想」、あるいは市民の倫理として深めていくことが不可欠だと思います。その意味で、「ガンジーの会」を「ガンジーについて学ぶ会」として位置づけ、ガンジーの生涯や思想について学ぶ場にしていきたいと思います。具体的には、市民の抵抗運動家としてのガンジーの生涯や思想、著書の紹介、断食や菜食主義の方法や体験の紹介、ジョン・レノンの「イマジン」まで含めて、「非暴力」の平和思想と運動について、調査・研究の発表と意見交換の場として開放したく思っています。皆さんの積極的参加を希望しております。

 
              「ガンジーの会」会則
 


                                              

 

  a hunger strike reray marathon