2月2日正午ハンガースト終わりました。
2日の染谷学さん、粥川勝さん、藤本貴さんのお三方に引き継ぎます。よろしく。
一人断食しての社会生活。ある意味でしんどいものがあります。
しかし、このくらいの犠牲で日本の空からイラクの空に小さな気持ちが飛んでいくのか、と思うと喜びもあります。
2月1日正午、何の心の準備もないままにハンガースト開始。
今日はいつもと違う特別な一日にすべき恩師菅原明朗先生の作品を見る。
このアクションの発案者末延芳晴氏の著書「荷風とニューヨーク」を読みながら、永井荷風の音楽観を考えてみた。
アメリカ、フランスで音楽を見、日本で僕の恩師菅原先生と音楽を語り、疎開も一緒だったお二人(詳しくは「罹災日記」)。どんな話をしたのだろうか。
昭和13年、日本の音楽に大きな方向性を示したであろうオペラ「葛飾情話」をどのようにしてお二人が作ったのであろうか。
荷風がアメリカ、フランスで見てきたオペラや音楽が重きをなしたと想像できる。このオペラの譜面をじっくり眺めた(今春、市川市で上演されます)。
ふと一服休み。ハンガーストとは言え、タバコは禁止されていないのが救い。
テレビによると、自衛隊派遣について日本人の半数以上の人が賛成らしい。
喫茶店でもどこでも、タバコが吸えなくなり、喫煙愛好家たる少数派の哀れさを肌で感じるだけに、「自衛隊派遣反対!」と心の中でしか言えなくなりつつある。
これが民主主義なのだろうか。反対は反対!。言うべきことは言わなければ。
ずるずると洗脳される日本人。誰か「裏の仕掛け人」がマスコミなどを影で操っているのだろうか。
自衛隊は軍隊だし、戦争に加担したり、核をもってはいけないくらい子供でも分かるはず。
イラク派遣は人道支援復興活動だそうな。自衛隊でないとできないことなの???
ハンガーストを昼間の12時からはじめると、寝て起きたときがきついですね。
寝起きの一杯のコーヒーが飲めないのが非常に厳しい。
我々は飲みたければ飲める。食べたければ食べられる。
イラクではどうなんだろうか?
仕事もなく、金もなく、病人をかかえ、子供に教育を受けさせられない親の思い、ある日とつぜん身内が犠牲者になる恐怖・・・
老後を心配し、年金を心配し、鶏肉と牛肉が食べれないことを心配し、人様並の生活を意識し、老後の余暇を楽しむ日本人。
空も同じ。夜の星座も同じ。日本で見ても、イラクで見ても同じ空なんですよね。
イラク派兵に反対の意思表示をするためハンガー・ストをしないか、と友人の末延氏から連絡があったとき、じつはぼく自身、それほど乗り気ではなかった。
試みは面白いかもしれないが、結局は「自己満足」に終わり、現実に動きだしている巨大な歯車の動きに対して、ほとんどかすり傷をもつけることができないのではないか。
「戦争の惨禍」を骨身にしみて味わった国民なのに、また懲りずに、「目先の」「ささやかな」「物的繁栄」のために強い者に尻尾を振り、「原理原則」を欠いた「損得勘定」で抜き差しならない泥沼に足を踏み込んでいく。
「しかし、あんなにも熱狂的に小泉総理支持を表明した国民だからなア」
「ひきずられて、アメリカの忠犬ハチ公になって、おこぼれ頂戴の『幸福』を味わうしかないのか」
「そんな幸福は毒饅頭かもしれないのに」
「本意でないことに敢えてノーをいう勇気ややせ我慢ということを忘れてしまった国民の運命など、どうなったっていいじゃないか」
「もう一度、惨禍を味わって、反省したほうがいい」
等々、ひどく冷めた気分になっていた。
ぼくの基本認識として、すでに人類はある「峠」をこえてしまい、今の「先進国」と称する国の「繁栄」など、ロウソクが消える直前、光輝くのと同じで、早晩、衰亡にむかう……との思いがある。
じっさい、「繁栄」を維持するために、すさまじいばかりの自然環境の破壊、資源の食い尽くしをやっている。その事実ひとつとっても、この先、今のような「繁栄」がつづくはずのないことは、子供でも分かる道理である。
「物的欲望」を抑制し「我欲」を捨て、「足るを知る」ことによってしか、衰亡や崩壊の時間は縮められないと思う。なのに、アメリカ主導の「グローバリゼーション」はその逆で、「欲望を全開」し、「我欲」をかき「独り占め」することにこそ価値がある……といった考えが基本にある。
彼らが勝手にそう思い実行して肥大して滅んでくのは自由だが、それを人類の普遍的な価値だとして、望んでもいない他国に強大な軍事力を背景にひろめ、押す付けようとしている。
そんな文脈で考えると、彼らの「欲望」の全開の逆をいく「ハンガー・スト」には、ささやかながら、意味がある。
リレー式でつなぎながら、一粒の種が芽をだし成長し実をつけ、やがて森にまで育っていってくれたら……これは面白い。そう思って参加した。
従って、ぼくの場合、単に「自衛隊のイラク派兵反対」という意味ばかりではない。地上の他の生き物を「ヒトラーのやり方」よりも悪辣非道なやり方で、けちらし抹殺している人間たちに、「たまには反省しろ」という意味をこめている。もちろん、ぼく自身の「生き方」への反省もこめて。
アフリカなどで飢餓で苦しんでいる人達のことを思えば、24時間ぐらいの絶食など、ほんのお遊びのようなもので「いい気なもんだ」といったあざけりを浴びるかもしれない。しかし、ときには「飢え」ということを、たとえささやかでも実感することが、どんなに大事なことか。
「飽食社会」の日本であるから意味のあることで、じっさい、体内の老廃物が出ていくようで、心身ともにすっきりした。
コーヒーに手が出そうになったが、我慢をして、白湯を茶碗に10杯ぐらい飲んだのではないか。
そうして、24時間が経過して初めて口にしたのは、プレーンのビスケット。一口かんで舌にのせたとき、なにやらまろやかのものが口の中にひろがった。
「こんなにうまかったかな……」
子供のころ、進駐軍からハーシーのチョコレートをもらったことがあるが、あのとき食べた、得もいわれぬ感動的な味を思い出した。
考えてみれば、ぼくの最深部にある記憶のひとつは、キャタピラの音とともに地響きをたてて進駐してくるアメリカ占領軍の戦車の列である。
横浜に上陸したアメリカ軍が立川基地まで進軍する途中の街道ぞいに住んでいたので、遭遇したのだが、そのときぼくは3歳の誕生日の直前で、祖母に手をひかれて怖々見ていた……。
あのときの情景を、イラクの子供たちに重ね合わせ、彼らはなにを思い、なにを感じているのか……さまざまに思ったりした。
戦争の最大の犠牲者は、子供である。指導者は現実の戦場に行くこともなく安全地帯に身をおいて、「国益がどうのこうの」とのたまわっている。
一度でもいいから、想像力を発揮して、自分の身を彼らの立場において考えてみよといいたいが、そんなことを考え、こだわる人間は、悲しいことに、一国の指導者にはなれない。
己の夢や欲望の実現のために、他を踏み台にして、これを抹殺することも厭わない。そんな性向の人間が、多くの場合、権力者、権力層になっていく。歴史とは権力闘争の歴史でもあるので、当然のことかもしれないが……。
空腹のなか、執筆の仕事も普段とかわらずにした。少な目だが睡眠もとった。
合間に、自分自身と日本の来し方行く末をじっくり考えた。
健康を維持するためにも、月に1,2回はこの試みをつづけたい。
いつでも、どこでも、誰にでもできる。それがこの試みの利点であり、強みでもある。
大事なのは愚直に続けることだ。「愚直」という言葉。今の社会に一番欠けていることかもしれない。
◆1月27日(火)〜28日(水) 飯村孝夫
1月27日正午、食欲自慢の者としては、多少の不安を抱きつつ、末延氏から受け継ぐ。
思ったより、新聞記事をみてくれた人がいて、断食中なんですねと声をかけられた。そこで、軽く参加を誘うと、意思はあるけれど参加は・・・。わずか一日断食するだけなのにと思いつつ、「1日1食、3日続けて1回でもいいのですよ」と説明しても、帰ってくる答えは「でも・・・」。
派兵が自分に直接繋がっていることとして捉えてはいないのかもしれない。これが、現状なのであろう。
「平和、平和」と唱えるだけでは平和にはならないという。
オペラ「ボエーム」でムゼッタが病床のミミの為に自分のイヤリングを売って、それで薬を手に入れ、その薬ができあがるまで、マリアに祈りを捧げる場面がある。
信仰からもっとも遠い存在のムゼッタが祈る姿、なにもできない者が最後にできることは祈ること。自分も「派兵反対」と心で唱え、少しでも輪が広がることも祈りながら・・・。
日経の夕刊に防衛庁長官が国会の答弁で「派遣の自衛隊員が地元民を誤射した場合は刑法上の法過失が生じる可能性がある」と表明していたことが載っていた。
正当防衛と誤射との違いは?
夜、4月に自分が制作し、演出するオペラの練習に出かけたが、2食抜いた後だが声はよく出ていた。
翌朝、目覚めた時、いつもとそれ程の違いは感じなかった。9時すぎにいつものように発声をし、曲を歌い始めたら、途端にエネルギーがなくなった。
体が自然に完全ストライキ状態。別の作業に切り替えた。
なんとか12時を迎え、末延氏に終了を報告。
◆1月26日(月)〜27日(火) 末延芳晴
私たちのハンスト・リレーが、昨日正午を以ってスタートしました。
新宿のルノアールという喫茶店の会議室を借りて、報道記者向けの説明会を11時から開き、趣旨と実施要項についての説明を行い、記者との質疑応答を追えたあと、12時にマスコット目覚ましのミッキー君の「グッド・モーニング! 今日も一日いい天気だよ!」という掛け声とともに、水杯(みずさかずき)ならぬ水コップで、山積した発起人一同乾杯。ハンストのスタートを祝いました。
初日は、私が断食を行い、今日の正午、無事に2番目に飯村孝夫氏にバトンタッチしました。
生まれて初めての断食で、無事に乗り切れるか不安もありましたが、特別に空腹感に苛まれることもなく、心身ともにすっきりした感じで最後までやり通すことができました。
丸一日食べない! と心に決めることで、心身の背筋がしゃきっと伸びるというのか、少し自分の「聖位」が上がったような気がして、気持ちのいいものです。
これなら二日続けてやれそうだとういのが正直な実感で、毎週一回やってもいいなと思いました。
精神と身体の健康にいいことは間違いないので、ぜに皆さんもやってみてください。
なお、私たちが今回ハンスト・リレーを提起したことに対して異論を表明する書き込みがありました。いずれも貴重な反論として謙虚に受け止めた上で、こうした異論、質問がいくつかまとまった時点で、私たちの考え方を明らかにしたく思います。
現実に、戦争がもたらした破壊と混乱に苦しむイラク人がいる以上、私たちに何ができるのか、何をしなければいけないのか・・・この一番切実な問題に大してどう答えていったらいいのか。反対意見を書き込みつつ、前向きに皆さんと考えていきたいと思っています。
◆1月24日(土) 染谷學
イラクの問題に限らず、この国がまた軍国化に向かっているような不安を感じるのはたしかです。
先日のニュースで、「政府は日本が軍事攻撃を受けた場合も日本に在住の敵国人を抑留しない方針を固めた」というのがありました。
僕は、この奇妙に現実的な方針に、ドキリとしたものです。イラク復興支援という名のもとに、国際協力という名のもとに、崩れてはならないものが崩れかかっているような気がします。
問題は遠くイラクのことだけではなく、周辺アジアへの不信感と警戒心をあおり、日本を敵視する国へ大義を許すことにもつながるこの派兵に僕たちはやはり無関心ではいられません。少なくとも、無力であっても意思表示はしなければいけないと思います。