a hunger strike relay marathon

ハンスト・リレー日記
●No2 >>>GO
★ハンストに参加してくださった皆さんと発起人が共に繋げていくリレー式の日記です。
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2月3日(火)〜2月5日(木)      池宮とも子

 先ほど40時間ほどの断食を終えました。
2月3日午後5時30分からはじめ2月5日正午までです(アメリカ東海岸時間)。
断食後はすぐ沢山食べてはいけないとのことですので、フレッシュ・グリーンジュースでスタートしました。
今日は胃をビックリさせないよう胃に優しいものをすこし頂くことにします。

断食中でもそれ程空腹は感じなかったのですが、後半頭痛が出現し少々困りました。食物を頂く事がいかに大切かを痛感しています。
戦争の影響で食糧難に喘いでいる人々、どれだけたいへんなのでしょう。私の想像に及びません。
世界の平和が実現しますように。





2月3日(火)〜2月5日(木)    池宮正信

 私はNY(ニューヨーク)時間の2月2日午後10時からハンストを開始し現在続行中です。
本日4日の午後1時位まで(日本時間:3日午前0時から5日午前3時)続ける予定ですので39時間断食です。
私の妻(池宮とも子)は3日の午後5時30分から開始しています。
明日5日の正午まで続けると言っています。(日本時間:4日午前7時30分から6日午前2時)

 先ほど末延さんとお話しましたら、「来週から夫婦二人同じ日でいきましょう」とのこと、これはたいへん助かります。
同じ家の中で一人が断食しているときにもう一方が食事するのは少々気を使うものですね。それに二人同時に行うことで励まし合えます。

 NYは一時の厳しい寒さが和らぎました。
11月に大統領選を控え、民主党からの候補者選びの話題で毎日賑わっています。
NYではあまりブッシュの人気はよろしくない様で、私の周囲のアメリカ人の殆どは批判的です。

 先日「Cold Mountain」という映画を観て来ました。南北戦争当時の南部の町が舞台です。
いかに戦争というものが愚かなものであり、戦う兵士だけでなく、彼らに関係する人々、しない人々を含め社会全体に大きな影響を与えることを改めて感じました。
平和と幸せな世界の実現を毎日祈っています。

     ニューヨークにて





2月2日(月)〜 2月3日(火)     染谷 學

 24時間ものを食べないということ自体はなにほどのことでもありません。
実際、地方に取材に出たときなど丸一日食事をしないことなどザラにあって、ンスト代表の末延氏などは「染谷さんと取材に出ると食事ができない」と全国誌に書いたこともあるくらいです。

今回、初めて意識的に食事を抜きました。
正直言って、この小石を蹴るような抵抗がどれほどの役に立つのだろうかと思っていました。僕が三食抜いたって誰も困らないし、誰の心にも響かないでしょう。

ハンストをしている最中もテレビをみると、軍服を着て似合わぬチョビヒゲをは
やした自衛官がバスにのって出掛ける姿が大きく映っています。
人々は日の丸を手に手に振って「出征兵」を見送っているのです。
そう、当然僕の断食に関係なく自衛隊はイラクに行きます。
しかし、その映像を見ながらはっきりと思ったのです。「俺は行くなと言ったからな!」と。少なくとも行為をもって「反対だぞっ!」と言ったのだと。

人々が無関心、無批判になっていくことがどれほど軍国化を後押しすることかと思います。
マスコミの反対報道さえも見慣れてくれば、力を感じなくなっていきます。
たとえ力がなくともイヤならイヤと言っておかなければならないのです。

いま、ハンストをして良かったと思います。選挙に行った時よりも、街で署名に協力した時よりも、もっともっと確信をもって「イヤだ!」と言えた気がするからです。順番がくれば何度でもハンストしますよ。
「行くな!」と言えた実感。もっとたくさんの人に感じてほしいと思います。





2月1日(日)〜2日(月)     高橋如安


 
2月2日正午ハンガースト終わりました。
2日の染谷学さん、粥川勝さん、藤本貴さんのお三方に引き継ぎます。よろしく。


一人断食しての社会生活。ある意味でしんどいものがあります。
しかし、このくらいの犠牲で日本の空からイラクの空に小さな気持ちが飛んでいくのか、と思うと喜びもあります。

2月1日正午、何の心の準備もないままにハンガースト開始。

今日はいつもと違う特別な一日にすべき恩師菅原明朗先生の作品を見る。

このアクションの発案者末延芳晴氏の著書「荷風とニューヨーク」を読みながら、永井荷風の音楽観を考えてみた。
アメリカ、フランスで音楽を見、日本で僕の恩師菅原先生と音楽を語り、疎開も一緒だったお二人(詳しくは「罹災日記」)。どんな話をしたのだろうか。

昭和13年、日本の音楽に大きな方向性を示したであろうオペラ「葛飾情話」をどのようにしてお二人が作ったのであろうか。

荷風がアメリカ、フランスで見てきたオペラや音楽が重きをなしたと想像できる。このオペラの譜面をじっくり眺めた(今春、市川市で上演されます)。


ふと一服休み。ハンガーストとは言え、タバコは禁止されていないのが救い。

テレビによると、自衛隊派遣について日本人の半数以上の人が賛成らしい。

喫茶店でもどこでも、タバコが吸えなくなり、喫煙愛好家たる少数派の哀れさを肌で感じるだけに、「自衛隊派遣反対!」と心の中でしか言えなくなりつつある。

これが民主主義なのだろうか。反対は反対!。言うべきことは言わなければ。

ずるずると洗脳される日本人。誰か「裏の仕掛け人」がマスコミなどを影で操っているのだろうか。

自衛隊は軍隊だし、戦争に加担したり、核をもってはいけないくらい子供でも分かるはず。

イラク派遣は人道支援復興活動だそうな。自衛隊でないとできないことなの???


ハンガーストを昼間の12時からはじめると、寝て起きたときがきついですね。

寝起きの一杯のコーヒーが飲めないのが非常に厳しい。

我々は飲みたければ飲める。食べたければ食べられる。

イラクではどうなんだろうか?

仕事もなく、金もなく、病人をかかえ、子供に教育を受けさせられない親の思い、ある日とつぜん身内が犠牲者になる恐怖・・・

老後を心配し、年金を心配し、鶏肉と牛肉が食べれないことを心配し、人様並の生活を意識し、老後の余暇を楽しむ日本人。

空も同じ。夜の星座も同じ。日本で見ても、イラクで見ても同じ空なんですよね。





1月31日(土)〜2月1日(日)    山本淑子

 
1月31日、初めてのハンスト。なぜか朝からワクワクしながら、調理中に無意識で味見をしてしまったり、食欲に悩まされないように、半ハンストで付き合うと言うパートナーの為、おむすびと味噌汁を作り、12時からハンストに入りました。

 
前後して、エールのFAXやTELを頂き、連帯感にとてもうれしくなると同時に、学生・一般市民・文化人・組合の人たちが腕を組み、デモ行進し、沿道から手を振る社会党党首の浅沼さんの姿があった60年安保の頃の年代や組織を超えた連帯が思い出されてきます。
その頃、毎日のように「恋人や愛する人が戦場に行く事になるかも」と危機感をつのらせ、学校の屋上での集会後、先生方と学生達が一緒にデモに参加していました。

 
1月25日に日比谷で行なわれた「自衛隊のイラク派兵反対」の集会にも、若い人達の参加が少なく、戦場に行く事になるかもしれない年代の無関心さに、あの惨い戦争から学んだはずの事が、何故伝えられなかったのか? 平和憲法に関する世代間のギャップなどをしみじみ感じています。

 
夕方になり、空腹感はあまり感じないのに、時々お腹がクウクウ鳴り、「大丈夫か?」とパートナーに笑われてしまうが、その後、諦めたのか夜からハンスト終了時まで、クウクウはありませんでした。
夕食前後の慌しさも無く、ゆったりとした気分で水を飲んでいたら、ふと、「星の王子さま」が読みたくなり、久しぶりに本を手に取りました。

 
静かにゆっくりと流れる時間の中で「星の王子さま」を読み終えると、なぜか涙がこぼれて止まりません。ハンストでピュアになっていたのでしょうか?
「かんじんなことは、目には見えない、心で見なくちゃ」・・・目に見えることだけを大事にしている大人たちが、イラクの子供たちを殺したり、傷つけたり、悲しい目にあわせたりしない様に、一度は子どもだった事を、忘れないでほしいと切に思います。

 
2月1日の朝は、心なしかいつもより胃がすっきりとしていて、目覚めもさわやかで、空腹感もなく、この調子なら、もうしばらく続けられそうな気になるが、横浜に行く為に駅までの道を歩き始めると、日頃の早足が幾分スローペースになっていました。
横浜の集まりでは、新聞に出ていたので切り抜いたという人、札幌の知人が新聞を見たと知らせて来たとの事や、反対の意思表示をしない限り、何時の間にか賛成にされてしまう恐ろしさ、一人でどこでも出来るハンストなら参加したい等、自衛隊イラク派遣反対ハンスト・リレーの話題がひとしきりでした




1月30日(金)〜31日(土)      山下美樹

 「お母さん、早くしないと病院の受け付け時間に間に合わないよ」
「オレも集合時間まであと10分」

ハンスト終了時間、正午の時報を聞いたとき、私は運転中でした。助手席には長男(高校1年)、そして後部座席には次男(中学2年)。
長男は野球の練習で背骨を痛めて、整形外科通いの毎日です。次男はシニアリーグ(硬式野球クラブチーム)に所属していて、練習グランドまで送りとどける途中。
「ねえ、もう少しスピードをあげられない?」
いつもどおりの、あわただしい日常の中で聞いた正午の時報。
ですが、その瞬間、24時間の断食を無事終えることができた達成感、そしてやわらかな安堵感が、ゆっくりと全身を駆けぬけたのを感じました。
 家族のために料理を作っていて「味見」をしそうになったり、また、皆が食事をしているのを横目に、ペットボトルの水でお腹を満たした24時間。今まで経験したことのない「丸一日の空腹」という環境の中で、思いのほか頭はクリアに、そして厳かな気持ちでいられたことは不思議といえば不思議です。

 さて、次男は小さい頃から喧嘩っ早く、また腕力が強かったため、相手に怪我を負わせることも度々でした。喧嘩の原因は、たいていの場合モノの取り合い。もしくは、ちょっとした言葉のぶつかり合い。
「お母さん、どうして暴力はいけないの?」
「だって、ぶたれた人はとても痛いのよ。痛いと涙が出ちゃうでしょう?」
「でも、○○くんがボクのオモチャをとったから悪いんだ。ボクが返してって言ったら、ぶってきた。だからボクもぶった」
「じゃあ、物の取り合いをするたびに、ぶったりぶたれたりして痛い思いをしてもいいの?」
「ボク、痛いのはイヤだ」
「だったら、喧嘩をする前に話し合いをしたらいいんじゃないかな。今は○○くんが使ってもいいけど今度はボクに使わせてね、って。その方が、お互いに気持ちがいいでしょう?」
「・・・うん」
 子供は喧嘩をすることで成長するといわれています。欲と欲をぶつけ合い、相手の痛みを知り、そして仲直りの方法をみつけていく。そんな過程で、自分を主張する方法や平和的解決法を見出していくのでしょう。


 
ところで、子供は、ちょっとの痛みでも大声で泣き叫びます。ましてや、戦争で手足をもがれ、血を流し、そして命を失った子供たちは、どれだけの恐怖と痛みを強いられたことでしょう。肉親や知人を失って、どれだけ大きな悲しみに暮れたことでしょう。
そんなことに思いを馳せるとき、分別があるはずの大人が「戦争=人の命を奪う行為」を正当化できるはずがない、という思いは強まるばかりです


 
26日付毎日新聞に掲載された世論調査結果には愕然としました。
「自衛隊イラク派遣に賛成47%、反対47%」。日本人の半数が、イラク派遣に賛成していることに驚きを感じるのは、私だけでしょうか。
平和憲法を持った日本人の半数が、「理由のはっきりしない不可解な戦争」の加担を容認しているなんて・・・。
「既成事実の積み重ねによる洗脳の怖さ」、そんなものを感じずにはいられません。


 
小泉首相がどうごまかそうと、イラクは戦闘地域です。戦場です。
自衛隊がイラクに派遣されるということは、しいては、場合によっては自分の子供たちが、そして肉親が戦場に送られることになるかもしれない、ということに私たちは気づくべきではないでしょうか。

 
何年か前に、子供たちにこんな話をしたことがあります。
「もし日本で戦争が起こったら、お母さんは大きな穴を掘って、あなた達をその穴の中に隠しちゃう。だって、戦争で殺し合いをさせるためにあなた達を生んだわけではないもの。大丈夫、毎日おにぎりとお水は差し入れてあげるからね」
そんな冗談を、いつまでも冗談のまま、笑って言えることを心から祈っています。




1月28日(木)〜29日(金)    香取俊介

 イラク派兵に反対の意思表示をするためハンガー・ストをしないか、と友人の末延氏から連絡があったとき、じつはぼく自身、それほど乗り気ではなかった。
試みは面白いかもしれないが、結局は「自己満足」に終わり、現実に動きだしている巨大な歯車の動きに対して、ほとんどかすり傷をもつけることができないのではないか。
「戦争の惨禍」を骨身にしみて味わった国民なのに、また懲りずに、「目先の」「ささやかな」「物的繁栄」のために強い者に尻尾を振り、「原理原則」を欠いた「損得勘定」で抜き差しならない泥沼に足を踏み込んでいく。

「しかし、あんなにも熱狂的に小泉総理支持を表明した国民だからなア」
「ひきずられて、アメリカの忠犬ハチ公になって、おこぼれ頂戴の『幸福』を味わうしかないのか」
「そんな幸福は毒饅頭かもしれないのに」

「本意でないことに敢えてノーをいう勇気ややせ我慢ということを忘れてしまった国民の運命など、どうなったっていいじゃないか」
「もう一度、惨禍を味わって、反省したほうがいい」
等々、ひどく冷めた気分になっていた。

 ぼくの基本認識として、すでに人類はある「峠」をこえてしまい、今の「先進国」と称する国の「繁栄」など、ロウソクが消える直前、光輝くのと同じで、早晩、衰亡にむかう……との思いがある。
っさい、「繁栄」を維持するために、すさまじいばかりの自然環境の破壊、資源の食い尽くしをやっている。その事実ひとつとっても、この先、今のような「繁栄」がつづくはずのないことは、子供でも分かる道理である。

 「物的欲望」を抑制し「我欲」を捨て、「足るを知る」ことによってしか、衰亡や崩壊の時間は縮められないと思う。なのに、アメリカ主導の「グローバリゼーション」はその逆で、「欲望を全開」し、「我欲」をかき「独り占め」することにこそ価値がある……といった考えが基本にある。
彼らが勝手にそう思い実行して肥大して滅んでくのは自由だが、それを人類の普遍的な価値だとして、望んでもいない他国に強大な軍事力を背景にひろめ、押す付けようとしている。
んな文脈で考えると、彼らの「欲望」の全開の逆をいく「ハンガー・スト」には、ささやかながら、意味がある。

 リレー式でつなぎながら、一粒の種が芽をだし成長し実をつけ、やがて森にまで育っていってくれたら……これは面白い。そう思って参加した。
従って、ぼくの場合、単に「自衛隊のイラク派兵反対」という意味ばかりではない。地上の他の生き物を「ヒトラーのやり方」よりも悪辣非道なやり方で、けちらし抹殺している人間たちに、「たまには反省しろ」という意味をこめている。もちろん、ぼく自身の「生き方」への反省もこめて。

 アフリカなどで飢餓で苦しんでいる人達のことを思えば、24時間ぐらいの絶食など、ほんのお遊びのようなもので「いい気なもんだ」といったあざけりを浴びるかもしれない。しかし、ときには「飢え」ということを、たとえささやかでも実感することが、どんなに大事なことか。
「飽食社会」の日本であるから意味のあることで、じっさい、体内の老廃物が出ていくようで、心身ともにすっきりした。
コーヒーに手が出そうになったが、我慢をして、白湯を茶碗に10杯ぐらい飲んだのではないか。

 そうして、24時間が経過して初めて口にしたのは、プレーンのビスケット。一口かんで舌にのせたとき、なにやらまろやかのものが口の中にひろがった。

「こんなにうまかったかな……」
 子供のころ、進駐軍からハーシーのチョコレートをもらったことがあるが、あのとき食べた、得もいわれぬ感動的な味を思い出した。

 考えてみれば、ぼくの最深部にある記憶のひとつは、キャタピラの音とともに地響きをたてて進駐してくるアメリカ占領軍の戦車の列である。
 横浜に上陸したアメリカ軍が立川基地まで進軍する途中の街道ぞいに住んでいたので、遭遇したのだが、そのときぼくは3歳の誕生日の直前で、祖母に手をひかれて怖々見ていた……。
 あのときの情景を、イラクの子供たちに重ね合わせ、彼らはなにを思い、なにを感じているのか……さまざまに思ったりした。

 戦争の最大の犠牲者は、子供である。指導者は現実の戦場に行くこともなく安全地帯に身をおいて、「国益がどうのこうの」とのたまわっている。
 一度でもいいから、想像力を発揮して、自分の身を彼らの立場において考えてみよといいたいが、そんなことを考え、こだわる人間は、悲しいことに、一国の指導者にはなれない。
己の夢や欲望の実現のために、他を踏み台にして、これを抹殺することも厭わない。そんな性向の人間が、多くの場合、権力者、権力層になっていく。歴史とは権力闘争の歴史でもあるので、当然のことかもしれないが……。

 空腹のなか、執筆の仕事も普段とかわらずにした。少な目だが睡眠もとった。
合間に、自分自身と日本の来し方行く末をじっくり考えた。
健康を維持するためにも、月に1,2回はこの試みをつづけたい。

 いつでも、どこでも、誰にでもできる。それがこの試みの利点であり、強みでもある。

 
大事なのは愚直に続けることだ。「愚直」という言葉。今の社会に一番欠けていることかもしれない。





1月27日(火)〜28日(水)    飯村孝夫

 
1月27日正午、食欲自慢の者としては、多少の不安を抱きつつ、末延氏から受け継ぐ。
 思ったより、新聞記事をみてくれた人がいて、断食中なんですねと声をかけられた。そこで、軽く参加を誘うと、意思はあるけれど参加は・・・。わずか一日断食するだけなのにと思いつつ、「1日1食、3日続けて1回でもいいのですよ」と説明しても、帰ってくる答えは「でも・・・」。
派兵が自分に直接繋がっていることとして捉えてはいないのかもしれない。これが、現状なのであろう。

 「平和、平和」と唱えるだけでは平和にはならないという。
オペラ「ボエーム」でムゼッタが病床のミミの為に自分のイヤリングを売って、それで薬を手に入れ、その薬ができあがるまで、マリアに祈りを捧げる場面がある。
信仰からもっとも遠い存在のムゼッタが祈る姿、なにもできない者が最後にできることは祈ること。自分も「派兵反対」と心で唱え、少しでも輪が広がることも祈りながら・・・。

 日経の夕刊に防衛庁長官が国会の答弁で「派遣の自衛隊員が地元民を誤射した場合は刑法上の法過失が生じる可能性がある」と表明していたことが載っていた。
正当防衛と誤射との違いは?

 夜、4月に自分が制作し、演出するオペラの練習に出かけたが、2食抜いた後だが声はよく出ていた。
 翌朝、目覚めた時、いつもとそれ程の違いは感じなかった。9時すぎにいつものように発声をし、曲を歌い始めたら、途端にエネルギーがなくなった。
体が自然に完全ストライキ状態。別の作業に切り替えた。
 なんとか12時を迎え、末延氏に終了を報告。






1月26日(月)〜27日(火)   末延芳晴

 私たちのハンスト・リレーが、昨日正午を以ってスタートしました。
新宿のルノアールという喫茶店の会議室を借りて、報道記者向けの説明会を11時から開き、趣旨と実施要項についての説明を行い、記者との質疑応答を追えたあと、12時にマスコット目覚ましのミッキー君の「グッド・モーニング! 今日も一日いい天気だよ!」という掛け声とともに、水杯(みずさかずき)ならぬ水コップで、山積した発起人一同乾杯。ハンストのスタートを祝いました。
初日は、私が断食を行い、今日の正午、無事に2番目に飯村孝夫氏にバトンタッチしました。

 生まれて初めての断食で、無事に乗り切れるか不安もありましたが、特別に空腹感に苛まれることもなく、心身ともにすっきりした感じで最後までやり通すことができました。
丸一日食べない! と心に決めることで、心身の背筋がしゃきっと伸びるというのか、少し自分の「聖位」が上がったような気がして、気持ちのいいものです。
これなら二日続けてやれそうだとういのが正直な実感で、毎週一回やってもいいなと思いました。
精神と身体の健康にいいことは間違いないので、ぜに皆さんもやってみてください。

 なお、私たちが今回ハンスト・リレーを提起したことに対して異論を表明する書き込みがありました。いずれも貴重な反論として謙虚に受け止めた上で、こうした異論、質問がいくつかまとまった時点で、私たちの考え方を明らかにしたく思います。
現実に、戦争がもたらした破壊と混乱に苦しむイラク人がいる以上、私たちに何ができるのか、何をしなければいけないのか・・・この一番切実な問題に大してどう答えていったらいいのか。反対意見を書き込みつつ、前向きに皆さんと考えていきたいと思っています。






1月24日(土)   染谷學

 イラクの問題に限らず、この国がまた軍国化に向かっているような不安を感じるのはたしかです。
先日のニュースで、「政府は日本が軍事攻撃を受けた場合も日本に在住の敵国人を抑留しない方針を固めた」というのがありました。
僕は、この奇妙に現実的な方針に、ドキリとしたものです。イラク復興支援という名のもとに、国際協力という名のもとに、崩れてはならないものが崩れかかっているような気がします。

問題は遠くイラクのことだけではなく、周辺アジアへの不信感と警戒心をあおり、日本を敵視する国へ大義を許すことにもつながるこの派兵に僕たちはやはり無関心ではいられません。少なくとも、無力であっても意思表示はしなければいけないと思
います。

2004/1/24〜2004/2/5