自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン
活動報告書


 
 さる1月26日、私たち11人の発起人が、「市民の不承認」という趣旨で立ち上げた「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」が、本日を持って2ヶ月目を迎えることとなりました。 この間、いくつかの試行錯誤を乗り越え、発起人を中核にして、延べ150人を越える一般市民がハンストに参加し、リレーは一日も途切れることなく継続し、市民による、市民のための「市民の不承認」運動として、あるべき姿が見通せるところまで漕ぎ着けることができた、そんな実感を深めております。
 
 ストがスタートした時点では、どこまで続けられるのか、どれだけ一般市民の参加が得られるか、正直に言って、発起人一同心もとないものがありました。 しかし、一般参加者の、時には発起人を宇和丸ほど熱心で、積極的な参加に支えられ、運動を長期的に継続できる展望を持つことができるに至っております。その意味で、運動の初期の目的は達成できたと言ってよく、皆様のご理解とご協力、そして暖かい激励に、発起人一同深く感謝致しております。
 
 だがしかし、運動そのものが全国的に認知されるには程遠く、ホーム・ページへのアクセスもようやく4千件に届くかどうかと言ったところです。また、ハンストへの参加者も、11人の発起人と何人かの熱心な一般参加者に限られ、全国レベルで広がる可能性はいまだ見出せない状態が続いておいります。その原因として、以下の5点が考えられると思います。
 
 
     1−地方で生活している人たちにとって、まったく見知らぬ人間が呼びかけた反対運動、特にハンストという身体的犠牲を伴う行為 
        に、個人の意志と判断で参加することに対して、予想以上に強い抵抗感が伴うこと。
 
     2−自衛隊のイラク派兵が、無批判なマスコミ報道を通して既成事実化し、いまさら反対の意志を表明しても無駄だという諦めの意   
        識が、国民の間に広がっていること。さらに、何事も忘れやすい日本人の国民性のゆえに、「派兵」そのものが過去のニュースとし
        て忘れられようとしていること。
 
     3−ハンストへの参加申込をインターネットだけに限定しているため、パソコンを持ってない人や操作できない人(特に女性やお年寄り)
        にとって、アクセスしにくいこと。加えて、パソコンを使い慣れている人は、平日朝から夜まで会社勤務している男性や女性が多
        く、彼らにとっては、派兵に反対したい気持ちはあるが、勤務時間中に食事を抜いてまでしてハンストに参加するのは勘弁して
        ほしいという気持ちが強いこと。
 
     4−エネルギーの消費度が高い若い世代の人たちにとって、一日三食抜くことは、40歳代を超えた世代より、はるかに心理的、肉
        体的負担が大きく、そのために30歳代以下の若者の参加が期待できないこと。
 
     5−家庭で、個人が日常生活を続けながら行う抵抗運動と言うことで、マスコミ的に話題になりにくく、そのために新聞やテレビによる
        報道がほとんど行われておらず、結果として運動の存在そのものの認知が広がらないこと。
 
 
 以上五つの要因の内、運動の全国的認知と展開を妨げる上で一番大きな要因となっているのが、第五点のマスコミ報道の問題で、スト・スタート直後に、二、三の新聞の社会面で小さく報道されたものの、それ以来、一度も全国紙で本格的に報道されたことはありません。なぜ報道されないのか? その理由として、自衛隊の派遣が現実化し以上、報道の重点は派遣の実態を伝える方に置かれるべきで、反対運動を取り上げても意味がないという判断がマスコミ内部で働いていることともう一つ、私たちの運動が、いわゆるマスコミ的な意味で話題性とニュース性に乏しいということが挙げられると思います。
 
 かって、インドのガンジーが「断食」によって「市民の不服従」の運動を立ち上げたとき、イギリスの強圧的植民地支配とカースト制度による抑圧の下、政治や社会制度と民衆意識の民主主義的解放がほとんど進んでいないという悪条件にもかかわらず、インドのみならず世界の平和運動に大きなインパクトを与えました。 その理由として、まず第一抵抗運動家としてのガンジーの思想や人格の高さ、そして自己犠牲の大きさが挙げられなければなりません。が、もう一つ、当時の新聞、雑誌など活字メディアが大きく取り上げ、報道したことも無視できないと思います。それなら、何故、メディアはガンジーの「断食」を取り上げたのか? 考えられる最大の理由は、テレビという資格情報伝達メディアが今ほど発達していなかった時代、一週間や二週間に及ぶ「断食」行為そのものが持つニュースとしての価値がそのままの重みで受け止められ報道されていたということ、つまりニュースの価値が、視覚的インパクト、言い換えればテレビ的業界用語の「絵になるかならないか」で判断されることが少なかったからだ思われます。
 
 しかし、ガンジーが生きた時代と私たちが生きてる時代とでは、情報伝達のメディアもシステムも大きく変わってきています。特に、いい意味でも悪い意味でも、テレビがニュース報道の主体を占めるようになってしまった現下の状況ににあっては、新聞や雑誌など活字メディアまでが、ある事柄のニュース性を判断するに当たって、ニュースそのものの価値より、「絵」としてのインパクトの強さによって「取り上げるか否か」を決めるようになってしまっています。事実、この運動を立ち上げてから、何人かの新聞や雑誌で仕事をする知人から「絵になりませんからねぇ・・・・」とか「有名人が参加してくれれば、取り上げやすいんですがね!」と言われました。悲しいことですが、テレビ業界の常識(それが本当の意味での「常識」かどうかは別にして)に照らして、有名人でも著名人でもない私たちのハンストは「絵」になりにくいわけです。というわけで、これまでのところ、私たちの運動は、マスコミから完全に無視されており、それが運動の全国的展開を阻害する一つの要因となっていると言っていいと思います。
 
 しかし、私たちは、マスコミの注目を浴びるためにこの運動を始めたわけではありません。いえ、やろうと思えば、私たちでもピンクの服を着て、渋谷の「八公」か上野の「西郷さんの銅像」の前で、24時間ハンストするくらいのことは出来ます。それで、国民世論が大きく変わり、本当にイラク派兵が中止されるなら・・・・。だがしかし、そうした形でマスコミが飛びつきやすい「絵柄」を提供しても、せいぜいが二分か三分のニュースとして消費され、一過性のパフォーマンスとして忘れられていくだけのものでしかない。それどころか、自衛隊の派兵を既成事実化し、平和憲法破棄に向けて国民世論を組織化していくための「儀式」を彩るエピソードとして、権力に利用されるだけだということは、これまでの経験からいやというほど思い知らされてきた教訓ではないでしょうか・・・・。そのような形で貪欲なマスコミの「食欲」を満たし、結果としてポイ捨てされることも、権力の支配強化のための「儀式」に利用されることも、私たちの本意でないので、これまで通り地道に運動を続ける姿勢を貫いていきたいと思っています。
 
 ただしかし、最初から賛同者や参加者を広げる努力を怠り、知る人ぞ知るといった形で運動を内向きに閉じ、参加者の身内意識だけに頼って続けることが、こうした政治的、社会的反対運動の本旨にもとることは論を待ちません。運動は広がることを目的として展開されることによって、初めて運動としての健全性を確保できるものと信じております。その意味で、毎月26日の定例発起人会とか、スト継続半年目とか、スト参加者500人目といった節目節目では、マスコミへのアプローチをはかり、運動の全国レベルでの認知に努力し、さらにまたメール・マガジンの発行や、この問題で私たちと意見と立場を共有しうると思われる平和団体や有識者、著名人へのアプローチも適宜行っていきたく思っております。
 
 どうか、運動の趣旨をご理解頂き、少しでも運動の輪を広げるべく、一般参加者の皆様のご協力とご支援を、発起人一同心よりお願い申し上げる次第です。
 
  2004年3月26日
 
                                                                         「ガンジーの会」発起人一同
 
 
 
 
 
                                

 

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