匿名ノンポリ氏への回答

                    
末延芳晴



 2月27日付のホーム・ページの書き込みでお知らせしたように、2月26日付の ノンポリ匿名氏への質問に対する回答として、以下に私の考えをまとめてみました。
なおまた、1ヶ月前の1月26日に、私たちがハンスト・リレーを立ち上げた直後 に、同じく匿名の方から、戦争の災禍に苦しむ現地のイラクの人々のために、日本人 として何ができるのか、自衛隊の派遣に反対するだけでなく、具体的に何をすべきか 提起すべきでないという質問がありました。この質問に対しても、今回一緒にお答え したいと思います。

 最初に、匿名氏の質問の内容を整理しておくと、日本は、アメリカの軍事力の後ろ 盾があるからこそ、北朝鮮や中国、ロシアに対して、対等な立場で外交交渉ができている。アメリカの意向に逆らって自前の外交を展開できない以上、イラク支援でも自 衛隊を派遣せざるを得ないのではないか、ということだと思います。

 この質問に対して、まず指摘しておきいたいのは、北朝鮮に対する拉致被害者の早期帰国交渉と、イラクへの自衛隊派遣はまったく次元の違う問題だということです。
ただ、匿名氏自身が素直に認めているように、こうした考え方がイラクへの自衛隊派 遣を是認しようとする人たちの口から繰り返し語られ、それによって一般国民が「そ ういうものかな」と思い込まされ、結果としてマスコミ報道を含めて、現在の自衛隊 イラク派兵を是認する流れを作り出していることは事実といっていいでしょう。

 だがしかし、デッド・ロックに乗り上げている北朝鮮との交渉を打開するために、 アメリカの理不尽な要求を受け入れ、明らかに憲法に違反している武装軍隊の派遣、 それもまだ戦争状態が続いているイラクに自衛隊を派遣することを認めるということは、結果さえ良ければ、手段は何を選んでもいいということになるのでないでしょうか?
 再び言いますが、武装軍隊としての自衛隊の派遣は、どう言い繕ってみても、 国の根幹に関わる憲法の規定に違反しています。
その憲法、そう膨大な数の戦争犠牲 者たちの命の代償としてようやく手に入れ、私たち日本人がこれこそが私たちの国と 社会の基本理念であるとして守り通し、戦後の復興と平和と反映の礎となった平和憲法を根底から覆す武装軍隊の派遣という行為を、拉致家族問題を少しでも早く解決す るために犠牲にしてもいいと言う理屈は通らないはずです。
もちろん、拉致家族問題は、私たち日本人にとって絶対にないがしろにできない重大な問題です。だが、しかし、憲法を犠牲にすることによって、解決すべき問題ではありません。よしんば、 そういう形で家族が帰ってきても、被害者の家族の方々を悲しませるだけではないで しょうか。
拉致家族問題は拉致家族問題として、あらゆる外交的手段を講じて一日も 早く解決すべき問題だと考えます。
しかし、そのことによって、国の根本を損なうこ とがあってはなりません。いえ、そもそも、アメリカという虎の威を借りて、北朝鮮 側に圧力をかけようとしても、北朝鮮側は逆に日本の足元を見すかして、強硬姿勢を 崩さないのではないでしょうか?
 現に六カ国協議の進展を見ても、一向に交渉が日本の思惑通りに展開する可能性は見えてこないではありませんか。

 私が、ノンポリ氏の意見に賛成できないもう一つの理由は、この大義のない戦争を 始めたブッシュ政権が、そして今また理不尽に、日本に対して復興支援のために自衛 隊を派遣するよう強要しているブッシュ政権が、任期が限定された一時的な政権であ り、今年の秋に行われる大統領選挙で負ければ、政権が変わってしまうということ。
つまり、恒久性のない一時的政権からの道理の通らない要求によって、一国の屋台骨 と言ってもいい憲法の基本精神が覆されていいものか? 繰り返しますが、憲法とい うものは、一国の国としてのあり方を根底から定める、半永久的な法的根拠だという こと。
だからこそ、憲法を変えるには、国民の三分の二以上の合意が必要とされるなど、厳しい条件が定められているのです。
ここで是非とも想起してほしいのは、あの アメリカですら、いや、あのアメリカだからこそと言うべきか、自由と平等という合 衆国憲法の基本理念は一度も変えずに守り通してきていること。そして、そのことに よって、人種やジェンダーによる差別の壁が打破・解消されてきたということです。
おそらく、アメリカは、将来アメリカ以上に強大で、フセイン以上に独裁的な指導者 が率いる国が現れ、アメリカに人権の保障や自由・平等に関する憲法の条項を削除することを強要されてるようなことがあっても、絶対に応じないと思います。
国が滅びても、アメリカ人は、合衆国憲法を死守するはずです。憲法と言うものは、それほど 重く、子々孫々にまで伝えられるべきものであるはずです。

 ところが、その憲法が、アメリカ国民の過半数の支持を得たかどうかも怪しいブッ シュ政権の思惑で、いとも簡単に覆されてしまった。しかも、そのことは、私たちの 子供や孫の世代まで禍根を残しかねない。
一度、壊れてしまったものを、元通りに復 元するのは至難の業であるからです。加えて、平和憲法は、「日本人は本当に平和憲 法を捨ててしまうのですか」の著者ダグラス・ラミスさんが指摘するように、私たち 日本人だけでなく、武力や軍備によっては一国の安全も世界の安全も平和も達成されない、ガンジーの言う「非暴力」的で、平和的な方法によってしか、地球の平和と繁 栄、そして人類の共存は実現できないと信じている世界の大多数の人々にとって、い わば「世界憲法」としての理念をも体言しているのです。
つまり、私たちが、平和憲 法を捨ててしまうことは、私たち日本人に対してだけでなく、アジアやアフリカ、いえ、全世界の人類に対する裏切り行為ともなるのです。

 私は、これまでの60年の人生において、貴君と同じようにノンポリを通してきま した。しかし、今回、生まれて初めて、一人の市民として立ち上がり、ハンスト・リ レーを提唱することで、反対の意見を公にしました。
何故そうしたのか? その一番 大きな理由は、戦後私たちの生きる拠り所となってきた平和憲法が、今、根底からな いがしろにされようとしていると思ったからです。

 次に、アメリカの要求に対して「ノー」ということで、アメリカの後ろ盾を失った 場合、日本に何ができるかという問題についてお答えしたく思います。
この問いに対 する答えは、すでにこれまでに記述したことの中に出ていると思いますが、もう一度 繰り返せば、ブッシュ政権は、アメリカ人の油断に付けこんで出現した一時的な異常 な政権であると言うこと。
アメリカ人には、僕らが考えている以上に、バランスの感覚が働いていて、この異常な政権にこの先いつまでも政治を託することはしないとい うこと。
したがって、イラクに対する政策も、政権が変われば、おのずから変ってく るということです。
ですから、小泉政府が、ブッシュの要求に対して、自衛隊の派兵は憲法によって禁止されているから、応じることができないと言っても、当座の問題として、アメリカの対日姿勢は強硬なものになるとしても、それが恒久的になるとは思えません。
それと、これは私自身の25年を超える、ニューヨークでの生活体験に 照らして言うのですが、アメリカ人は、それは公平の原理に照らしておかしいと言うことを、正面からはっきり言うと、意外に素直にそれを受け止め、対等な議論ができると言うこと、そして、喧嘩に近い議論を激しくやりあった後は、一種の友情の関係を築けるという事です。
最初から腰が引けて、弱腰だとどこまでもズーズーしく付け込んでくるので、一度正面から「ノー」と言ってみること、そして、「あなた方が、あ の時点における世界人類の「もう戦争は嫌だ!」と言う共同願望と合衆国憲法の精神 を合致させる形で作り上げ、私たちが懸命に守り通してきた憲法を、あなた方の一時 的な都合で変えろと言うのはおかしいではないか!」と、正面から議論することが、 今後日本が自主外交を展開する上で、是非とも必要なことだと思います。

 最後にもうひとつ書いておきたいことがあります。それは、一人の市民の感覚とし て、迷彩服を着て、銃を持った兵士がテレビの画面を駆け回る、そういった光景に言いようのない不快感と不安を覚えるということです。
それは、武力を笠に着た人間が威張り散らし、私たちの表現や思想、行動の自由を奪う、そういう時代が遠からず間違いなくることを予感させるからです。
私は、威張っている人間が大嫌いです。政治家や官僚にとどまらず、物書きやジャーナリスト、芸術家、芸能人を含めて、どんなに偉そうなことを言っていても、威張っている人間には鳥肌が立ち、生理的に嫌悪感が先立ってしまうのです。
なぜそうなのか? 一番大きな理由は、それが地位や名誉や金やペンの力であれ、威張っている人は必ずそれらを武器に私を支配し、私の考え、感じ、行動するる自由を奪い取ろうとするからです。
そして、その中で、武器を持つ軍人が一番威張りたがる人種であることは、歴史が証明しています。

 今から百年前、日本はロシアと戦争をして勝ちました。そのとき、日本の軍部は、 ヨーロッパの大国に挑んだ初めての戦争であり、、世界中が日本の軍隊がどう戦うか 注目して見ているということで、相当数の欧米の新聞、雑誌記者を従軍させ、前線で 取材をさせました。
彼らが書き残したものを読むと、一様に日本の軍隊が、トップの 乃木将軍から最下層の一平卒まで、いかに立派に武士道精神に則って、勇敢に戦った かを報じ、日本の軍隊は世界で一番厳しい規律と高いモラルに支えられた軍隊である とたたえています。
ところが、一方、日露戦争当時、アメリカに滞在していた永井荷風は、戦争に勝ったために、軍人が威張り散らす時代に入ったと嘆き、そうした時代の到来を呪詛しています。
また、夏目漱石も、時代の変化を敏感に感じ取った文学者の一人で、漱石の小説に出てくる主人公は一人残さず、軍人のように威張る人間に生理的に嫌悪感を抱かざるを得ない人間として描かれています。
そして、事実として、歴史が証明したように、日本は軍人が威張り、人々の自由を弾圧し、国の進むべき道を見誤り、無謀な戦争に突入し、何百万もの犠牲者を出してしまったのです。
このように、私たちが歩んできた道を振り返るとき、私は、一人の市民として、ガンジーの 「市民の不服従」という言葉に倣って言えば、「市民の不承認」として、自衛隊のイ ラク派遣に「ノー」と言わざるをえないのです。

 さて、次に、今、飢えや寒さ、病に苦しむイランの人々に、日本人として何ができ るのか?という質問に対してですが、正直に言って、イラク問題の専門家でもない私 には、具体的に何ができるとか、できないとかはいえません。
ただ、いえることは、 現在の不安定な状況は、アメリカの一方的な軍事攻撃の結果として引き起こされている以上、アメリカがアメリカの責任において、まず治安の回復を図るべきだということ。
そして、どうしても自衛隊にしかできない仕事があるというのなら、治安の回復を待って、迷彩服で武装するのでなく、平服のまま武器は帯同せずに平和救援隊という形で参加すること。
しかし、そうした形で自衛隊を派遣しなくても、日本がイラクのためにできることは、まだまだ沢山あるのではないでしょうか。
忘れてならないことは、飢えや寒さ、病に苦しむ人々は、イラクだけでなく世界中に沢山いるということ、にもかかわらず、イラクの緊急性だけが強調され、自衛隊の派遣が強行されることで、海外派兵が既成事実として認められ、結果として徴兵制が復活し、軍人が威張 り散らす社会の再来を許してしまう、それだけは絶対にあってはならないことなので す。

 以上から、武装した自衛隊を海外に派遣することは、どう言い繕っても憲法に違反 することになってしまうのです。
従って、今の憲法の制約の下で、この矛盾を解決し ようと思うなら、武装しない海外平和救助隊のようなものを、たとえば消防庁のよう な災害救助を使命とする省庁の中に設け、海外での救援、救助の訓練を与え、いざ出 動の時は、非武装のまま赤十字のような形で参加する、そうした方途を考えるべきで はないでしょうか?

 最後にもう一言、よく日本は経済的援助だけで、身体と命を張った援助をしてこな かった、だから国際社会の中で、軽んじられ、孤立してしまうのだということが、自 衛隊派遣の根拠として挙げられますが、お金を出すことがそんなに軽く、恥ずかしい ことなのでしょうか?
世界にはお金を出したくても出せない国がたくさんある。そうした国に代わって、お金を出してあげることは、何も恥ずべきことだとは思いま せん。
いえ、私は、武器を持って、前線で戦うことだけが勇気ある行為とは思いませ ん。困っている人を助けるためのお金を作るために、働くことも勇気ある行為ではな いでしょうか?
それがどんな仕事であれ、人は、生きるために、命を張って働いて いるのでないでしょうか。私たち日本人は、そのことにもっと胸を張って生きていっ ていいのでないでしょうか?
 25年間、外国で生活し、日本を外から見てきた日本 人の一人として、今、そんな思いを強くしています。

 以上、大変長くなりましたが、今、私に書けることはこのくらいです。それでもまだ、質問があるようでしたら、いつでも結構ですので、ホーム・ページに書き込んで ください。





 
                                              
 

  a hunger strike reray marathon