何故ハンストは「精神的」たらざるをえないか


 11月3日、「ガンジーの会」のホーム・ページで、名古屋からハンストに参加くださっているMaeda Fusayoさんから、私たちの運動が、「精神的に過ぎるのでないか?」という趣旨の疑問が出されました。それに対して香取氏が丁寧に答えを書き込んでくれましたが、会の運動の根本に関わる問題提起であるだけに、代表である私の方からも答えを出す必要があると思い、ここにお答えする次第です。

 

 最初に、Maedaさんが、『失礼とは・・・・』と、今の会のあり方に異議を唱えることにかなりの心理的抵抗を感じながら、それでもそれを乗り越え、問題を提起してくださったことに感謝したく思います。

 

 さて、先ず最初に、私たちのハンストに関わる姿勢が、「精神的に過ぎるのでないか?」というご指摘ですが、これは、香取氏も指摘していたように、意志的に食を断つという行為そのものが、「精神的」たらざるをえない面があると思います。つまり、人間の最も基本的本能であり、生理的欲求でもある「食べる」行為を意図的に中断するわけですから、最初から身体生理的自然、あるいは社会的、現実的行動規範に則った行為たりうるはずはありえません。

 

 しかも、一日でも二日でも、食を断つことは、その間、外からのエネルギーの補給は、水以外にないわけですから、生きていく上で必要とされる物質とその物質を燃焼して得られるエネルギーは、体内に蓄積された物質とエネルギーを消費して、補給せざるをえない。加えて、この体内蓄積された物質的エネルギーを消費しつくすことが、ある種の身体的、精神的「浄化」の感覚とつながってくることで、断食は一層「精神的」行為ということになります。古来、洋の東西を問わず、宗教的解脱や覚醒を求める人々が、「断食」を欠かすことのできない、修行の方法として取り入れてきた事実が、そのことを物語っているといえます。つまり、断食という行為そのものが、最初から「精神的」行為であること、従って、私たちのハンストも自ずから「精神的」たらざるを得ないことは、これでお分かり頂けると思います。

 

 しかし、問題はそこで終わるわけではありません。私たちは、宗教的解脱や覚醒、解放感を求めて、ハンストを行っているわけではないからです。つまり、私たちは、平和憲法に違反する自衛隊のイラク駐留を阻止し、撤退させるという「政治的目的」で、断食を行っているわけですから、「精神的」解脱感や解放感を得ることだけを目的とするわけにはいかないということになります。おそらく、Maedaさんが、今回の提言で、一番言いたかったことはそこだろうと思います。宗教的求道者でもない私たちが、過度に精神的姿勢を強くして、ハンストを継続させていくことが、果たして政治的運動といえるか? そこのところを、Maedaさんは、突きたかったのではないでしょうか? もし、そうだとしたら、確かにおっしゃるとおりです。ハンストを始めて9ヶ月余、私たちのハンストに関わる姿勢が、過度に「精神的」方向に傾きすぎているとしたら、率直に反省する必要があると思います。

 

ただ、週に3回ハンストを続けている私自身の体験に照らしてみて、あんまりストイックに「精神的」になっているという実感がないのが、事実なんですね。ハンストに入っている時も、普段どおり本を読み、資料を探しに図書館に足を運び、原稿を書きという生活を続けていますし、電話やミーティングで、レギュラー・メンバーの仲間と話をするときは、冗談ばかり言い合っています。酒も、ハンストのないときは、毎晩飲んでいます。要するに、ハンスト期間中は、食べ、飲めない代わり、オフの日は、俗生活を存分に楽しんでいるということ。そして、一旦ハンストに入ると、淡々とした気持ちで、当たり前のこととして続けているというのが、今の偽らざる気持ちで、Maedaさんから、「精神性」に偏りすぎているなどといわれると、少しこそばゆい気がするのです。

 

しかし、それでも、傍から見ていて、「精神的に過ぎる」と見えるとしたら、それは僕らの心構えの変化ではなく、周りの外的環境が変わったからではないでしょうか。つまり、ハンストに参加する人が次第に減り、結局残ったのは、最初からの発起人5〜6人と、長野の藤森さんや大阪の柴田さん、京都の山川さんたち・・・・と10人程度のレギュラー・メンバーが、週に一回のペースで、修行僧か何かのようにハンストを続けている。ホーム・ページの書き込みも、同じ顔ぶれが、内輪向けにああでもないこうでもないと書いていて、外部から入っていきにくい雰囲気が漂っている・・・・。それが、今の私たちのハンストに取り組む姿勢を、過度に「精神的に」見させているのではないでしょうか?

 

それを外から見ていて、Maedaさんは、そうしたストイックな姿勢に、一般参加者がしり込みして、結果、参加者が減ってきたという風に見ておられるようですが、果たしてそうでしょうか? 私の実感では、むしろ一般勤労者や家庭の主婦にとって、一日だけとはいえ、24時間3食抜くのは相当辛く、覚悟と忍耐が必要とされるハード・タスクだということ。だから、一回か二回はやってみたものの、相当にきつかった。しかも、自衛隊は当分撤退しそうにない。ならば、自分が参加しても意味がない・・・・そんな風に考え、多くの人はハンストからとおざかっていったのでないでしょうか。

 

それでも、ハンストへの一般参加者が、当初予測していたようには増えず、逆に著しく減少を見た原因が、私たちの行き過ぎた「精神性」とホーム・ページが内向きに閉ざされているせいだというのなら、それは改める必要があると思います。しかし、参加者の数が減ってくると、書き込む人が限定され、自ずから内向きに閉ざされてこざるを得ません。かといって、書き込みを控えると、会の活動そのものに活気がなくなってくる。その辺に、ハンストを市民のために開かれた運動として続けて行く上での難しさがあることもご理解頂きたく思います。

 

というわけで、問題はやる気があるかないかということだと思います。本当にやる気のある人であれば、少々の障害は意に介さずに、参加してくるはずです。どうもやっている連中が殉教者の集団みたいで、入って行きにくいからとしり込みしてしまうような人に、本当にやる気があると言えるのでしょうか。

 

参加者が減ったもう一つの要因として、自衛隊が憲法に違反してイラクに派遣されていることに対する国民の関心と問題意識が大幅に低下したことも無視できないと思います。ご存知のように、日本人の一番悪い欠点として、よく言われることですが、流されやすく、寄らば大樹の陰ですぐに大勢に順じ、しかも忘れやすい。そして、身体を張ってでも対決しなければならない問題が出てきても、半分逃げ腰で声だけ高く張り上げ、対決しているようなポーズは取るものの、時間の経過と共に対決する姿勢を放棄し、のど元過ぎればで、忘れてしまうことが挙げられます。

 

つまり、自衛隊がイラクに派遣された当初は、あれほど多くの日本人が反対し、抗議運動に立ち上がったのに、一ヶ月、二ヶ月経ち、派遣が既成事実化し、当分撤退しそうにないと分かってくると、あきらめて忘れてしまう。その結果、ハンストに参加していた人たちも、面倒で、億劫になり、わざわざそんなことまでしても・・・・と、自然遠ざかってしまう。ハンスト・リレーを立ち上げて、初めの何ヶ月かは、結構増える勢いを見せていた参加者の数が、次第に減り、梅雨に入る辺りから急減し、結局、夏に入る頃からは、10人前後のレギュラー・メンバーが週一回のペースを守り、時々、思い出したように一人、二人が参加してくるという形に落ち着いてしまいました。それもこれも、人々の自衛隊のイラク派兵に対する関心が薄れてきた結果ではないでしょうか?

 

しかし、だからといって、責任を国民の無関心さや熱しやすく冷めやすい気質にだけに帰すことはできません。おそらく、Maedaさんも、ハンストの輪を広げることができなかった責任の一端が、私たちの努力不足にあると思って、疑問を提起したのでしょう。しかし、この点に関しても、外からはそう見えないから、言い訳めいて聞こえるかも知れませんが、私たちは私たちなりに、やれることはやってきたと思っています。ただ、私たちは、こうした政治運動に経験の乏しい素人であり、しかもそれぞれが文筆、オペラ演出、作曲、写真・・・・と仕事を持っており、その上、人をオルグし、政治運動を立ち上げ、継続発展させる仕事が全く性に合わない、いわば社会性に乏しい人種であることなどから、運動の輪を広げていくための有効なノウ・ハウを、残念ながら十分持ち合わせていません。また、時間も予算も十分ない・・・・などの要因で、できる範囲内で試行錯誤を続けているものの、目覚しい成果を上げられないというのが、今の現状なのです。

 

例えば、ハンスト・リレーについて、少しでも多くの人に知ってもらおうと、れまでに随分、新聞社やテレビ局にファックスやメールを送りましたが、ほとんど反応はありません。多い時は、2日間で全国紙、地方紙を含めて150社くらい新聞社に記者会見の案内のファクスを送ったことがありますが、一社も顔を出してくれませんでした。ハンストをスタートさせて半周年目に当たる7月の末にも、かなり本気で新聞社やテレビ局に呼びかけて、記者会見を開きました。その時も、どうせ何処からも来ないんだろうな、まあ、終わったらヤケ酒でも飲もう!・・・・などと冗談を言い合っていたら、朝日の社会部の記者が一人だけ来てくれました。それで、大歓迎して、2時間近く取材を受け、記事にしてくれるのかと待っていたら、なしのつぶて。何で、こんなことをやらなければならないのか!と、怒鳴り、泣きたくなることはしょっちゅうです。でも、家にこもって、根暗く、24時間ハンストを行うなど、「絵にならない」抵抗運動には、今のマスコミは全く関心を払ってくれません。

 

さて、次に、運動の目的を、「広げる」ことから「持続させる」ことに置き換えたことに対する疑問ですが、これも「精神性」の問題と同じで、ハンストという行為が本質的に持つ特性という言うべきではないでしょうか。最初にこの運動を立ち上げた時に公にした「緊急メッセージ」や「会則」でも、ハンスト運動の目的として、線香花火的な一過性のパフォーマンスに終わらせず、しぶとく「持続させる」ことを謳っており、私は、参加者数が減ったからといって、特に目的を転換したとは思っていません、。つまり、3食抜き、一日24時間断食すること、そのこと自体が「持続」を志向しているということなのです。そして、「持続」することによって、ハンストは政治的、社会的インパクト持ち得るということなのです。あのガンジーのハンストが、あれだけにインパクトを持ちえたのも、1週間とか、10日とかハンストを「持続」させたからなのです。

 

ただ、ガンジーのハンストと私たちのそれが、一つ大きく違うのは、ガンジーの場合は、一人の国民的信頼を集めたシンボリックな人間が行うことで、マスコミが大きく報道し、結果、インドの命運を変えるほど大きな政治的、社会的インパクトを持ったということです。私たちの場合は、残念ながらというべきか、私を含めて、発起人として立ち上がった人たちが、ガンジーのような大きく、シンボリックな存在ではなかった。そのため、どれだけハンストを続けても、マスコミは関心を払おうとしなかった。しかも、一人の人間が生命の危険をも顧みず、無期限でハンストをしなければならないほど、事態は切迫していない。くわえて、ガンジー・スタイルのハンストには、一つ致命的な弱点がありました。それは、一過性の政治的パフォーマンスとして、ハンストを行っているうちは、マスメディアが盛んに報道し、国民世論の関心と支持は高まりますが、ハンストが終わってしばらくすると、忘れられてしまう。しかも、だからといって、早々頻繁に繰り返し行うことができないということです。そうした意味で、インターネットが高度に発達した現代において、私たちが提起したリレー式のハンスト・マラソンは、ハンストという政治的行為を、一人の超越的人間の一回限りの特権的パフォーマンスから、全国民的広がりにおいて市民に解放し、永久持続を可能にするものとして、画期的な意味を持つものだと思います。

 

しかし、現実には、私たちが提起した運動は、企業や官庁に勤務したり、学校で教えたり、個人で商店を営業したり、農漁業に従事していたり、家庭の主婦として育児や介護に追われたりして、食を抜くことがままならならぬ一般市民にまでは広がらなかった。つまり、私たちのように文筆に関わったり、オペラや作曲に関わる仕事をし、比較的自由に時間を組織できている一部の人間にのみ可能な24時間断食行為を、一般市民にまで広げようとしたこと自体に無理があった、ハンストは、私たちのような、食を抜いても日常生活にさほど差し障りのない人間が、シンボリックな抵抗運動として行うべきものだということなのでしょう。

 

そうなのです、Maedaさんのように、「自衛隊をイラクから撤退させるため」だけの目的でハンストに参加されている人にとって、私たちが続けているハンストは、余りに現実性が欠落していて、無意味に思えたとしても、それは仕方のないことなのです。にもかかわらず、一部の文化人の自己満足に終わらせず、市民を巻き込んでハンストを持続継続させていくにはどうすればよいのか。私が考えたのは、政治的目的以外に、「精神的」、「文化的」目的をハンストに見出すことでした。そのために、私は、一般参加という形でハンストに参加された人に対して、ハンストをすることで自分自身と対面して欲しい、そして自分自身を変えるきっかけを掴んで欲しいと思い続けて、政治的目的を超える何か、「精神的」、「文化的」な成果を掴み取って欲しいと何度も書き込み、また勧めました。例えば、長野から参加されている藤森さんには、「父たちのいなかった戦後」を、大阪から参加している柴田さんには「ヒーリング・ドリンク」の連載をメールマガジンに書くようにと・・・・。

 

最終的には負けると分かっている戦いで、24時間も空腹に耐えるハンストを一年も続け、それで何も得ることなく敗れていくのだとすると、それは余りにさびしく、惨めではないか。どれほど正しく、純粋な政治的目的を持った戦いであっても、文化を生み出さない戦いは不毛である。そう考えて、私自身も、ハンストを通して見えてきたこと、掴み取ったことをできるだけ正確に書き残すことに努めてきました。おそらく、今、メルマガの「ガンジーの村」で連載している「ハンストをしながら山頭火のことを考えた」は、連載が終われば、いずれ何らかの形で単行本になるでしょう。

 

そう、たとえ、ハンストが政治的、社会的意義を失い、過度に「精神性」に傾いたとしても、私や香取氏のような人間には、そこから意味ある結果を引き出すことができる。よしんば、ハンスト・リレーが途中で挫折しても、私たちには「ハンスト挫折体験記」を書き、後世に残すことができる。高橋如安さんは、「ハンスト殉教者」というタイトルのオペラが作曲でき、飯村孝夫さんは、そのオペラを演出することができる。しかし、一般参加の方々は・・・・。そう考えてくると、私は、自分が今のような形で、この運動をここまで続けてきたのは、結局、私自身の「ため」を図ってのことでないか、そのために私は一般参加の人たちに犠牲を強いてきたのではないか。私が、ハンストの「精神性」と「持続志向性」を何度も強調してきたのは、結局は私自身の「ため」を思ってのことでなかったか・・・・。そんな気がして、居たたまれなくなります。

 

だがしかし、ハンストに関わる人は多種多様で、その理由も目的も千差万別です。私たちのような精神的、文化的意義付けに、共鳴する人もいるでしょうし、もっと軽い気持ちで、末延さんが言うから付き合ったという人もいるでしょう。地方に住んでいて反対の意志を表明する場がないからという人もいるだろうし、家庭内暴力や離婚の痛手から足し直るきっかけを掴もうと、参加してきた人もいるかもしれません。また、Maedaさんのように、「自衛隊をイラクから撤退させること」だけが目的で、ハンストに参加している人も少なくないと思います。そして、そういう人たちにとっては、いま、私たちが続けているハンストは、余りに現実的、政治的インパクトが弱すぎる。ですから、今、もし、Maedaさんが、「これ以上、ハンストを続けていても効果がないから止める」と言われても、私には、それを引き止める勇気はありません。

 

 結局、ハンスト・リレーを立ち上げた時に、政治的インパクトをより強くするために、Maedaさんを含めて一般市民に呼びかけざるをえなかった、そのこと自体に、そもそもの矛盾があった。私たちのように、文化・芸術的表現に関わる仕事をしている人間が20人くらい集まって、シンボリックな反対運動としてハンストを続け、それを一般市民が賛同・支援するという形ができていれば、問題はなかったのです。ただ、残念ながら、そこまで持っていくには、私たちは余りに力不足だった。もしこれが、ノーベル賞作家の大江さんやベトナム反戦運動で知られる小田実さんたちが立ち上げた運動であれば、展開はずっと違って、全国民的に広がったのかもしれません。いかんせん、私たちは彼らのように「ビッグ・ネーム」ではない。そのことの限界が、今、露呈しているということなのでしょう。

 

 そうした限界を突破するという意味においても、私は、大江さんや小田さん、加藤周一さんたちこそがハンストに立ち上がるべきであり、立ち上がって欲しいと思っています。彼らが立ち上がったときには、いつでも私は、ハンストから降りても(あるいは譲っても)いいと思っています。ただ、今この時点で、彼らが立ち上がっていない以上、彼らが立ち上がるまで、自衛隊がイラクに派遣された時から、一日も休まず、空腹に耐えながら、ハンストを続けてきた日本人がいたことを、小泉首相や自民党に知らしめるために、さらには歴史に対して証言するためにも、私たちはハンストを続けて行かなければならない。その意味で、この運動はすでに、私たち一人ひとりの責任のレベルを越えているのかもしれません。10ヶ月以上も続いたという事実は、私たちが思い、感じている以上に遥かに重く、大きな何かを物語っているのではないでしょうか。そんなものは、お前の勝手な思い込みだと笑われるかもしれませんが、私は、時間の流れの中に少しづつ蓄積していくこの「重み」を信じたい気持ちです。

 

最後にもう一つ、今、ハンストを止めてはならない理由を書いて、終りにしたいと思います。それは、獣たちが、喉が渇いたとき、いつでもそこに行けば水が飲める、そんな川の流れのように私たちのハンスト・リレーが流れ続けているということ、そしてMaedaさんも、その流れに水を注ぎ込んでいる大切な支流の一つだということです。ご存知の通り、今回、香田証生さんが殺害されたことで、グループ・ハンストを呼びかけたところ、何人かの人がカムバックしてくれました。そういう人たちが、カムバックしようと思った時に、いつでも戻ってこられる川の流れとして、私たちの運動は続けていかなければならないと思いますが、いかがでしょうか?

 

 以上、大変長い答えになってしまいましたが、意とするところをご理解いただければ幸いです。もし、それでも納得がいかないということでしたら、いつでも結構ですので、また問題提起してください。

 

 最後に、Maedaさんの書き込みによって、今回、私たちの運動が直面している問題について、かなりきちんと把握し、自分なりに考えを深め、整理できたことに感謝しております。

 

11月9日                             末延芳晴





     

  
                                            

 

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