イラクでフィリピン人労働者が武装勢力の人質になっていた事件をうけて、フィリピン部隊のイラクからの撤退が、7月19日、完了した。
アロヨ大統領の「苦渋の決断」とマスコミは報道していたが、ガンジーの会としては、この決定はアロヨ大統領の「英断」であると歓迎したい。
フィリピン政府の決断に対して、アメリカやオーストラリア政府は、テロに屈するものと批判したほか、日本でも例えば読売新聞が17日の社説で「極めて憂慮すべき事態」であり「国際社会のテロ対策に重大な障害となりかねない。米国が重ねて警告しているように『テロリストに誤ったメッセージを送る』ことになるからだ」と書いている。
確かに非暴力による問題解決をなにより願うガンジーの会としては、武装兵力が人質をとり、要求に応じなければ殺害する……といった姿勢を支持しているわけではない。自爆テロなどで多数の民間人の死傷者をだすやり方は憂うべきことで、賛成できない。
問題なのはなぜ彼らがそういう行動をとるようになったか、そういう行動に走らねばならなかったかである。
いうまでもなく、アメリカのブッシュ政権が大義のない戦争を一方的にはじめたことが、彼らの追いつめられた行動の原因である。
ブッシュ政権がイラク開戦当初、主張していた「開戦理由」はほとんど虚偽の情報にもとづくもので、根拠がないことが、今や明らかになってしまった。一方的な「思いこみ」で、自分たちと価値観が違うからと、これを武力でたたくなど、少なくとも「民主主義」を標榜する近代国家のやるべきことではない。
だが、世界の世論がどう批判しようと、現代の「ローマ帝国」になってしまったアメリカは、自分たちの気にくわない政体、民族、勢力を力でねじふせようとしている。
それでも「国際世論」に対して配慮はしているのだろう、経済的利益を「馬の鼻先の人参」のようにちらつかせて、経済的に弱者の立場にある国に「派兵」を要請し「国際的に協調している」という象徴的な意味をもたせようとしている。
こうした中、かつてアメリカの植民地であったフィリピン政府が、さまざまな圧力のもと、とにかく自国民の命を守るために敢えて撤退を早めたことは、勇気ある決断である。
アロヨ大統領はこの決定について「私は決断を後悔していない」と強調した。
フィリピンを代表する評論家も新聞で「イラク占領に関する我が国の国益は、米国などとは異なる。我が国の事情が他国の国益より大事だということだ」と論じている。また別の評論家は、今回の人質事件がフィリピンに大失敗をただす機会をあたえてくれたとして「アメリカのイラク侵略はとんでもない過ちであることが証明された」と強調し、アロヨ大統領弁護の論陣を張っている。
フィリピンは国民の1割に相当する800万人もの海外出稼ぎ労働者をかかえている。彼らの命を守ることが、アメリカのエゴイズムに同調することより大事であると宣言したことで、この決定はアメリカ主導の「多国籍軍」の展開に対して、今後、ボディブローのように、じわじわと効いてくるにちがいない。
国際問題を武力によって解決しようとする指導者がいる限り、世界から戦争はなくならないだろう。世界一の軍事大国アメリカの指導者が、そのことを深く認識し、率先して平和的解決の姿勢を示すことが、今こそ必要なときはない。
相手を話し合いの土俵にのせるためには、強者が「自分の利益」ばかりを考えていてはむずかしく、強者がまず「譲る」ことが大事である。中東地域の紛争の根っ子にあるイスラエルにも、それを望みたい。
このままではイラク戦争は泥沼化し、アメリカは4人に1人の割で存在する膨大なイスラム教徒を敵にまわすことになる。「テロリズムを根絶させるための戦い」が皮肉にも、テロを世界中にまきちらすことになっている。
日本も、アロヨ大統領の決断を真摯に受け止め、「勇気ある撤退」の道をさぐるべきである。幸い日本には「憲法9条」という「武器」がある。
アメリカが日本に課した憲法という歴史をふまえ、相手のいいなりになるのではなく、正すべきところはきちんと正し、アメリカが世界から孤立しないよう、アドバイスをすべきである。それが「真の友人」のとるべき行動であり、長い目でみて日米両国の国民(一部の勢力ではない)のためになるはずである。
戦争で利益を得る一部勢力のための政策は、やがて「文明の衝突」を引き起こし、世界を混乱の渦にまきこむだけである。
(文責:香取俊介)