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1月25日(木) オペラ 「ポンポコ」  飯村孝夫

 
先月末、新宿のノモリス29で開かれた定例会で、メルマガ『ガンジー村』の編集方針について話をしていた時、末延氏から、「オペラと戦争」 というテーマで、連載が書けないかと聞かれ、あれこれ考えてみたのです が、プロコフィエフの『戦争と平和』位が浮かんでくるだけで、ほかに思 い当たるものが、なかなか出てきません。

 しかし、実際の戦争ではありませんが、モーツァルトの『フィガロの結 婚』のように、身勝手な領主や強者を懲らしめるという物語は結構ありま す。シュトラウスの『こうもり』の夫の浮気を懲らしめるというのも同じ 流れといえるでしょう。  以前、ルーマニアのオペラ・ハウスで、遊佐端二台本・作曲のミュージ カル『ポンポコ』というのを演出・上演したことがあります。ストーリー は、貧しい農民勘助に美しい奥方がおりますが、あいにく彼女は病弱の身、 それを治してやるには狸汁が一番と聞き、勘助は山に狸を捕らえに出かけ 、狸をおだてて、木の葉に化けたところを生け捕りにしてしまいます。

 ところが、ここに一人好色の庄屋さんがおりまして、勘助が狸狩りに出 かけている隙に上りこみ、奥方を言い寄ろうとします。そして、粟屋とい う時に、勘助が帰ってきますが、庄屋は、逆に居直って、勘助をたたき出 してしまいます。それを見ていた狸が、勘助に命乞いをして、奥方に化け て言い寄る庄屋から奥方を守り、二人の危機を救うというものです。

 モーツァルトの『魔笛』におけるように、夜の女王が3人の侍女トモノ スタトスを引き連れて、ザラストロに戦いを挑み、すぐに負けてしまった ように、弱いものが、強いものにまともにぶつかっていっても、勝てるは ずがありません。

 オペラの場合も、弱者が強者をやっつけるには、正面からまともに攻めるのでなく、笑っているうちに気付いたら強者が土俵を割っていたという パターンが多いようです。そのキーワードは、“知恵”ということなので しょう。

 私たちのハンスト・リレーも軟弱といわれれば軟弱だと思います。もっ と強烈なアッピールの仕方を考えるべきだという声もあるかと思います。 しかし、毎日、誰かが腹を空かせることで、イラク人に化けていると考え ると、強いアメリカに対して多少の抵抗にはなるとおもうのですが・・・





◆11月2日(木)
  香田さん人質事件に思う
                       
  飯村孝夫

 人質を取って刑務所に入っている者の釈放を叫んで、立て篭もるという事件が生じた場合、関係者や警察は「刑務所に入っている者など釈放できるわけがない」といって、最初から相手の要求をはねのけて対応するでしょうか?

 もし、冒険家が途中で遭難し、SOSを発した場合、それは自己責任なのだからと、救助できなくてもやむを得ないのでしょうか?

 凶悪犯が、その事件を通して重症を負った場合、医者は凶悪犯だから、命を救えなくてもやむを得ないと考えつつ、治療に当たるのでしょうか?

 今回、香田さんが、「イラク・アルカイダ機構」に人質にとられ、殺害された事件では、人質になった香田さんのイラクに入った動機なり、行動が、問題点として取り上げられました。そして、彼は、まるで犯罪者であるかのように扱われ、無防備にイラクに入っていったのは、あの男の自己責任なのだから、救助できなくても仕方がない、結果として殺害されてもそれは政府の責任でない・・・・そんな冷酷な雰囲気が、マスコミ報道から国民感情まで広く漂っていたように感じられました。

 そうしたムードを感じ取られたのでしょう、被害者のご両親は、息子さんが、危険なイラクに入っていった理由について、彼の人間性、つまり心の優しさや、イラクで苦しんでいる人たちのために何か役に立ちたいという動機を訴えておられました。しかし、そうだからといって、それが、香田さんを救い出さなければならない理由にはならないはずなんですね!

 香田さんの人柄や生き方、さらには目的とは関係なしに、最も根本的に大事なことは「人の命を救え」ということであり、自衛隊のイラクからの撤退は、香田さんを救い出すための一つの方便なのだという原点がブレていたことが、結果として悲惨な死を招いた最大の要因ではないでしょうか・・・・。

 かってダッカでおきた人質事件の時でしたか、時の総理大臣、福田赳夫の「一人の命は地球より重い」というコメントは、歴史に残る名言であり、一国の総理大臣にそう言わさしめた国民の意識(世論)に、私たちは誇りを持っていいと思います。その理念が、当たり前のこととして生きていける日本である限り、私は、日本に誇りと愛を持っており、その点で私は愛国者であると思っております。
(2004年11月2日記す)



◆11月2日(木)  今、この瞬間に最も大切なものは

     山本淑子

 「テロには屈しない」=「自衛隊の不撤退」という極めて冷酷、な最終決定が最初に表明されたことにより、思考がフリーズされ、今、この瞬間、何が人として最も大切かという判断を、見失ってしまったように思えてなりません。

 考慮の余地を全く感じさせない結論を、先に出すことは、武装勢力側への拒否宣言であり、同時にまた「香田さんの命をなんとか助けたい」という、多くの人々の心に先ず浮かんでくるはずの思いを結集させることをも、阻むこととなりました。

 香田さんを包んでいた星条旗、いち早く「自衛隊の不撤退」を表明したことでアメリカから「よく言うことを聞くいい子だ!」と褒められている日本に対する、イラクの武装勢力側の激しい敵意を感じさせます。

 若さならではの無防備な行動は、生還できた時点で問われるべきものであるはずです。日本に帰ることができていたら、この体験から得たであろうものを香田さんはどう語っただろうか?・・・・・やさしさと勇気を兼ね備えた一人の青年の無限の可能性が無残にも絶たれてしまった現実を前にして、今は、哀しみと無力感に胸ふさがる思いです。




7月27日  飯村孝夫

 26日は、運動がスタートしてちょうど半年目という区切りでしたが、久々に例会が開かれました。たまたま一社、取材が入り、会の趣旨や活動などについて質問を受けました。60年安保は勿論、70年闘争もほとんど記憶にない、その若い記者の方と話しながら、また以前ほぼかれと同じ世代の別のジャーナリストの方と話したときも感じたのですが、憲法や国際貢献に対するスタンスの世代間の微妙な違いを感じました。同時にふと僧籍の「こころ」の最後のくだりが、頭の中に浮かびました。

「すると夏の暑い盛りに命じ天皇の崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まり天皇に終わったやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残ってゐるのは心竟時代遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました・・・
私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、貴方にも私の自殺する譯が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る相違だから仕方がありません・・・」

明治の精神に戦後の精神、明治天皇にところに平和憲法を入れ替えてこの分を読んだ時、我々の運動が時勢遅れだとは思っていないのですが、妙に納得してしまいました。





7月16日(金)     國井明子

中村敦夫氏が本県に来られ、講演を聞きました。
環境保護は、国内外を問わず、大きな課題です。
みどりの会議には、大きな期待を持っていました。

ところが、講演が終わり、質疑になりました。
農業者から要望がでました。

国の補助金で稲の航空防除が行われ、無農薬栽培が出来ないので、国の航空防除の補助金を中止してもらえないだろうか、と。

同氏は、私も農業専門委員会に属していますが、委員会は、セレモニーのようなもので、官僚の説明を聞くだけです、と。

自民党の議員が言っても許される訳でもありませんが、環境保護を目指している党の代表者の係る応答に憤りを感じました。

法務委員会を傍聴された方の新聞投稿を読みましたが、法務委員会が全くと言っていい程、怠慢な様が報じられていました。
専門委員会は、無作為、不作為です。
多くの裁判をしてきていますが、司法ほど出鱈目なものはないと思っていました。
やはり、弾劾裁判の形骸化が問題との投稿記事がありました。

秘書給与の詐取事件がありました。
今も事件にならないで高枕をしている多くの議員がいることと思いまが、秘書給与詐取は、国会議員としての不作為を証明しているのです。

稲の航空防除の弊害が叫ばれているのです。
これが緑の会議の党首なのか・・・・・
涙が出そうでした。
川田悦子氏の講演を聞きましたが、質疑や要望になりましたが、誠実に応答されていました。

国会は、要らない。地方分権にして、自分達の政治を真剣に考えないと塗炭の苦しみを味わうことになることを国民は知らねばならないと思います。
国の機構は、通商、防衛、外交で充分ではないんでしょうか。

今回の参議院選挙は、何処も入れる党がなくて、仕方なく共産党にしました。
共産党の隣市の市議の出鱈目を知っているのですが・・・





7月14日(水)     末延芳晴

 久しぶりに東京に出てきて、ある大学の学生を相手に、ラフカディオ・ハーンのクレオール体験についてレクチャーをしてきました。ハーンが、日本にくる前、アメリカ南部のニューオリンズやカリブ海の仏領西インド諸島で2年ほど暮らし、多くの小説や紀行文を書き残していることは以外に知られていません。比較文化論の平河祐弘氏が、近著『ラフカディオ・ハーン』で鋭く洞察しているように、『植民地主義』と『キリスト教化』と『文明開化』と、ヨーロッパ的価値による世界の一元化が圧倒的勢いで進む19世紀末、ハーンは、マルティニーク島で2年間生活し、そこにヨーロッパ的価値では一元化しきれない『多神教的な世界』が生きていることを発見し、そこで出会った女性や子供や幽霊、聞いた音楽や舞踏、立ち会った宗教儀礼について実に詳細な記録を書き残しています。ハーンはこの体験を踏まえて、日本の松江を訪れ、再びそこに『多神教的世界』を発見し、日本の幽霊に出会っていったわけです。レクチャーでは、ハーンのクレオール体験について、彼が聞いたであろう音楽にフォーカスを当て、テープやヴィデオを聞きながら、約1時間半話を進めました。
 
 講義が終わった後、渋谷に出て、焼き鳥屋で学生たちと打ち上げコンパ。学生の中にジョン・ケージについて卒論を書いている男子の学生と、オノ・ヨーコ似ついて卒論を書いている女子学生がいたりして、話が大いに弾み、久しぶりに楽しく時間を過ごすことができました。
 
 ところで、僕たちのハンスト・リレーについて話が及んだとき、オノ・ヨーコについて卒論を書いている女子学生から、「なぜ自衛隊のイラク派遣に反対してハンストなんですか?」と聞かれ、要旨次のように答えてきました。
 
  「日本人として自分が生きていく上での誇りの問題なのだ。日本人は、過去において「源氏物語」や世阿弥の能、歌舞伎、文楽、芭蕉、浮世絵など世界の精神文化に貢献する大きな遺産を残してきた。ところが、20世紀に入って何を残したか? わずかに、小津安二郎の映画とオノ・ヨーコのアート、そして平和憲法くらいしかないじゃないか。確かに、この憲法は日本人が作り出したものではない。しかし、マッカーサー率いる占領軍によってこの憲法が作られた時点で、世界人類の「戦争はもう二度といやだ、世界に平和を」という願いと理念が、「第九条」にはこめられていたはずなのだ。その願いと理念を、私たち日本人も共有していたが故に、あの憲法を民族再生の基本理念として受け入れ、半世紀にわたって守り通してきたのでないか。日本は、そのことで世界人類に対して最大の貢献をしてきたのであり、そのことに対する誇りが、僕が海外で25年以上も生活する上で自分を支える精神的な柱となってきた。そのいわば生きる上での人間としての矜持の源泉とも言っていい平和憲法を、バカな総理大臣の音頭に踊らされ、日本人は捨てようとしている。いや、武装軍隊をイラクに派兵したことで、実質的には捨ててしまったのかもしれない。そのことに対して、僕らは怒り、ハンストを続けることによって、「不承認の意志」を表明しているのだ。第九条が、世界のすべての国々の憲法に取り入れられ、世界憲法として承認されるまで、日本人は、世界人類のためにもこの憲法を守り、支え、広げて行かなければならないだ」
 
 こう語り終えたとき、女子学生が大きくうなづいてくれたのが、とても印象的で嬉しかった。20歳前後の学生は、戦争とお言うものの実態について、ほとんどリアルなイメージを持ち合わせていません。そんな彼らに、僕らのハンストの意義を分からせ、ストに参加することを求めるのは酷かもしれません。それでも、正面から本音で語りかけると、分かってくれる。そのことを確認できたことが嬉しかった。
 
 確かに、ハンストへの一般参加者の数は減っています。数だけ見ていると、絶望的な気持ちになります。でも、僕らのホームページにアクセスし、ハンストには参加しないけれど、BBSへの僕らの書き込みやメール・マガジンを読んででくれている人の数は間違いなく増えています。こうした形で、僕たちの運動の理解者が増え、自衛隊の海外派兵や憲法第九条の問題について考えを深め、意識を共有してくれる人が増えていることを、僕たちは喜ぶべき何かもしれませんね。




7月6日     飯村孝夫

 日本で目の治療を受けにきたモハマド君が、橋田さんのお墓参りをしたというニュースが流れていました。

自衛隊がサマワの人々にどのような受け止められ方をしているのか、先日、朝日新聞の調査が出ておりました。
基本的には歓迎されているが、先方の期待とは必ずしも一致していないということのようです。
政府は前段を力説しますが、だから派兵がゆるされているという理論には無理があります。

以前にも書きましたが、戦争で破壊し、人道支援もないものだと思いますが、政府が言うように人道支援の必要性は認めるとして、憲法への抵触を無視するようにしてまで、わざわざ自衛隊をイラクに派兵し、給水や道路舗装をすることが、最善の人道支援とは思えません。

むしろ、モハメド君のように、イラク国内では治療が不可能でも、日本国内で医療行為をすることで少しでも助けられる、機能回復へ手を差し伸べる方が、よほど人道支援なのではないでしょうか。

恐らく、給水や道路舗装や修復のように、より多くの人に還元される内容が国家間では対象とすべきで、モハマド君のようなケースは国家間の場合には無理だとの見解が出ることでしょう。

派兵に実際どのくらいの費用を注ぎ込んでいるのかわかりませんが、その費用で、何千人単位あるいは何万人単位の戦傷者を、イラクでは助けられなくても、日本の医療で助ける事ができるのではないでしょうか。

その人たちから生の声を聞くこともできます。その人たちがイラクへ帰った時、日本での話を1人が10人にすれば10万人の人に、100人にすれば100万人の人たちが日本への理解を深め、親愛が増すはずです。

また、その中から、将来幾人のリーダーが輩出するかもしれません。それを思えば、派兵より遥かに人道支援の実が上がると思います。




6月14日(月)〜15日(火)    山本淑子
 
 何回目かの参加になりますが、今回が一番つらいハンストでした。

絶食中これまでの経験として、水の補給が大切なことはよーくわかっていたので、十分摂っているつもりでしたが、終了後の体調としては、不足していたようです。
食べ物に含まれている水分+飲み水が必要なのに、結果として飲み水の分しか摂取していなかったらしいように思います。

気圧の変化か、水分の不足かは不明ですが、15日の朝は、起きぬけからひどい頭痛・・・
しかし、毎週火曜日は、横浜在住の母の入浴介助に行くことになっていて、頭痛くらいでは交代をたのむわけにも行かず、11時から出かけ、なんとか入浴を終了。

ハンストを始めた当初は、月一度の集まりでハンスト・スケジュール表に自分で選んで書き込んでいましたので、参加状況と自分の都合を兼ね合わせて決める事ができました。
しかし、ホームページが主となり、月度の集まりも不必要となった現在、自分でハンスト日を決めることが、出来にくくなりました。

でも、イラクの子供たちの事や、派兵撤退どころか、ますますエスカレートしていく軍国化に抗議しなくてはと思うと、多少やりにくくても、反すとのさんかを続けていきます。

先日、「YES オノ・ヨーコ」展に行き、 WAR IS OVER ! IF YOU WANT を観て、オノヨーコさんにも月に一回でもハンストに参加して頂けたら、とつくづく思いました。




6月13日(日)    香取俊介  

 先にブッシュ政権のイラク戦争や利権の構造を痛烈に批判した映画「華氏911」で、カンヌ映画祭の大賞を受賞したマイケル・ムーア監督が、次の作品はイギリスのブレア首相をとりあげると、語っています。

 アルジャジーラの英文サイトで読んだのですが、ムーア監督によると、ブッシュはバカだが、ブレアはバカではないので、かえって罪は重いといった意味のことを話しています。
子供にたとえると、むしろブレアが「兄貴」であるとして、例えば子供が喧嘩をした場合、親は普通、喧嘩の原因について、年上の子供のほうをしかる。
「より賢明な兄貴」が「アホな弟」の愚挙に手を貸したことの罪は、重いということなのでしょう。
確かに、イラク戦争はブレア政権の支援、協力がなければ起こらなかったはずです。いくらブッシュ政権も、さすがに単独ではイラクへの武力侵略はしなかったと思います。

 その点、ブレア首相の責任は重い。
小泉総理がブッシュ大統領より、「バカか」「バカでない」か、同程度か、わかりかねますが、この伝でいけば、いち早くイラク戦争への支持を表明し、自衛隊を派遣し、さらにまた「多国籍軍」へ、なし崩し的に自衛隊を派遣しようとしていることの責任も、ブレア首相についで重いといえます。

 サマワに派遣された自衛隊そのものの「武力」は微々たるもので、大した役割を果たしていませんが、日本が裏で支えている「経済的支援」は大きいはず。
衰えたとはいえ、依然として「世界第二の経済大国」です。その国が、ブッシュを全面的に支持して「軍隊」を送っている。このことの「象徴的な意味」は、他の国に大きな影響を与えているはずです。だからこそ、ブッシュはコイズミを手なずけ、「忠実なシモベ」にしておきたいのです。

 「華氏911」はブッシュ政権に強烈なダメージをあたえることもあって、アメリカでの上映が一時むずかしくなっていたのですが、カンヌ映画祭で受賞したため、アメリカでの公開も可能になったようです。「自由」と「民主主義」を標榜する国としては、「閉鎖的で、言論の自由がない」と海外から批判されることを、なにより恐れるのでしょう。それと、やはり「儲かる」からという「ビジネス論理」があるのかもしれませんが。

 ともあれ、アメリカの「言論統制」も、「同時多発テロ」以降、常軌を逸しているといわれてきましたが、まだわずかながら希望がもてます。
日本公開は2005年春とのことですが、注目すべき一作です。

 ところで、マイケル・ムーア監督は、この映画をつくった意図について、次のアメリカ大統領選挙でブッシュを落選させることも理由の一つとしてあげています。
対立候補のケリーが勝つことを期待しているとのことですが、ケリーを全面的に支持しているのではなく、もしケリーがブッシュと似たような政策をすすめれば、次はケリーをターゲットにした映画をつくって、強烈な批判を加えるつもりだと語っています。

 いずれにしても、この監督の、あくなき好奇心、探求心、批判精神には驚きます。
腰がひけている日本の「著名な監督」には、小泉政権をターゲットにした映画など、つくる意図も意欲もないでしょう。無名に近い監督のなかには、いるかもしれませんが、映画制作は相当の資金がかかるので、意図や希望はあっても事実上、作れないの>が現実です。

 仮に誰かが制作を意図して動き始めたら、権力者はおそらく、あの手この手を使ってつぶしにかかるに違いありません。2005年春に施行が予定されている「個人情報保護法」が施行されたら、この種の作品を作ることは「犯罪」であるとの烙印をおされかねません。
マイケル・ムーア監督にも、大変ないやがらせ圧力がきたようですが、それをはねかえし、後生に残る「作品」に仕立て上げた強靱な精神は見上げたものです。
次にマイケル・ムーア監督が、「小泉総理の権力構造」に的を絞った映画を作ったら……と想像がふくらみます。
きっと、日本人とはまた違った角度からの鋭い切り込みで、興味深い作品に仕上がることは間違いありません。

 何度か紹介しましたが、外国人特派員協会会長のウォフレン氏の著書「日本・権力構造の謎」(早川書房)は、日本人の研究者やジャーナリストでは書けなかった注目すべき本で、極めて説得力があります。
人は他人の背中は見えるのですが、自分の背中は見えないもの。残念ながら、日本の歪みや、おかしな点は、中にいる人間には、「慣れ」や「習慣」「常識」によって曇らされ、見えなくなっているようです。
異なった視点、異なった角度から、人や社会、出来事などを見る「眼力」が、今こそ必要な時はない……と自分に強く言い聞かせながら、10何回目かのハンストをつづけています。